SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第2回実施報告
【テーマ】 マッピング(後半): 1950年代の日本美術の動向を中心に 〜実験工房、具体美術協会、九州派における、SEAに繋がる要素をマッピングする〜
【プレゼンター】 清水裕子(アート&ソサイエティ研究センター副代表)
【日 時】 2016年3月24日(木)18:30-20:30
【会 場】 アーツ千代田3331 B1階 105室 (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )
【内 容】
1950年代の時代背景やこの時代に関する中心的な美術評論(千葉成夫、黒ダライ児)を確認した上で、当時の3つの代表的な国内美術の動向と社会との関係性を考察した。西洋の動向からの影響関係と日本固有の展開を通じて新たな表現方法を模索する中で、作品の表現形態、発表の手法、素材選択については個々に集団的理念や地域性が反映されていることに注目した。
《キーワード》
- 実験工房
- 具体美術協会
- 九州派
- 労働組合
- 素材
《疑問点・問題提起》
- いわゆるエリート集団(実験工房、具体美術協会)と地方でおこった反芸術的集団(九州派)のように、芸術家同士においても社会的、経済的格差があったとされるが、作品の受け手にはどんな社会層が多かったのか。
- いわゆるエリート層の芸術家は自身の表現のうちに社会的問題意識を含まない傾向があるのか。
- 中央への反発意識を持った芸術運動が起こったのは九州だけだったのか。
- 第9回頃から読売アンデパンダン展が急進したとされるのは、この年に結成された九州派が影響していたのか。
第2回SEAヒストリー研究会に参加して
高嶋直人(アート&ソサイエティ研究センターインターン、ファーレ倶楽部会員)
国内におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの萌芽をたどるSEAヒストリー研究会の第2回。今回は1950年代の中心的な美術の動向である実験工房、具体美術協会、九州派の位置付けをテーマとし、同時代的に生まれた各動向の特徴の比較によって、作品の表現形態、発表の手法、素材選択、拠点にしている地域性に関するキーワードから、海外交流が拡大したこの時代の日本における美術表現の特性を考察した。
前回のレポートで述べたように、私はこの研究会によって美術と社会状況の直接的な関係性の歴史を読み解き、今日の日本でソーシャリー・エンゲイジド・アートの実現によって美術と市民との間に新たな関係性が生まれることを望んでいる。近代以降日本の作品展示の場が屋外へと広がってきたが、第ニ次世界大戦中の金属供出やGHQ占領下の軍国主義的な彫刻の撤去、または大気汚染による彫刻のダメージなどを原因とし、設置されたうちの多くの屋外彫刻が撤去され作品に対する市民の関わり方と価値判断の重要性は浮き彫りになってきた。しかし、市民の中には地域の歴史背景を守り親しむという目的をもってアートを媒体とした活動を行っているグループが存在するものの、ボランティアとして軽視され、その活動の意義が認知されていない現状がある。ソーシャリー・エンゲイジド・アートの潮流は、地域社会の中に存在するアートの価値について自ら考え関わっていく市民をもう一度掘り起こし得ると期待している。
今回の議論では、3つの動向の特徴について、中央と地方、エリートと非エリート的な集団的特徴、国内と欧米などから対比されたが、作品に直接関わるメディアや素材については三者三様だった。芸術ジャンルを横断したインターメディアを追求した実験工房(拠点は東京)、関西を拠点に、従来の素材にならなかった物質そのものによる作品や制作プロセスの重視、公共空間でのパフォーマンスを行った具体美術協会、労働組合を背景に労働者の生活に関連した素材を組み込んだ九州派といったように表現は個々に表れていることが明らかになった。
各動向について具体的な作品図版が資料として共有されたが、どのグループの作品を見ても表現の新しさに対する意識や素材の個性的な選択という意味では前衛であり、反芸術につながる要素を持っていたと言えるのではないだろうか。また実験工房が東京のタケミヤ画廊、具体美術協会が自ら阪神間に設立したグタイピナコテカという恵まれた発表の場を拠点として、どちらかといえば都会的な活動をしていたことに対し、九州派が炭鉱のある地方としての性質を強烈に放ちながら、東京に対して競争意識を持っていたことは、地域性とアートを考える上で興味深い。それぞれ作家たちの出生地を拠点に地域に根ざした活動をしていたことが明らかになったが、これは戦後多くの作家が東京を中心とした戦争被害を表現して注目された1940年代からの大きな変化だと感じた。(ルポルタージュ絵画の代表作家、中村宏は静岡県浜松市出身で東京都立川市、鶴岡政男は群馬県高崎市出身で東京都上野駅周辺をそれぞれ絵画の主題にしていた)
非共通点としては、実験工房は海外の美術潮流の実践をテーマとしたこと、具体美術協会はこれまでにないオリジナリティを求め制作プロセスを重視したこと、九州派は中央と地方を対立軸にした政治的なモチベーションがあったことが挙げられる。このように同時代の美術動向であっても、その活動理念、求める表現形態、素材の選択によって相違が生まれる。特に制作や発表の場としての地域性や社会性がアートに及ぼす影響は大きく、地域の個性を放って前衛的であった九州派のように、それはこれから生まれてくる日本のソーシャリー・エンゲイジド・アートのヒントになり得ると感じる。
1940年代後半から国内で広がった戦後社会派リアリズムの潮流をとりあげていた「日本アンデパンダン展」、「読売アンデパンダン展」も、H・ルソーらを輩出したフランスの「サロン・デ・アンデパンダン」を倣っていたことは前回の議論にあった。同時代的に各地で生まれた今回の3種の動向だが、第二次世界大戦の後から海外文化の流入が広がった中で、戦後社会派リアリズムの重いテーマを払拭し、新たな方向性を模索していたのかと推察できる。
今回の研究会では、国内の1950年代の前衛美術が第二次世界大戦直後の戦後社会派リアリズムにあったような社会問題を主題にとりあげることから解放され、戦後の復興へと向かう時代背景の中で自由な独自の集団理念に基づいて作品表現をしていたことが分かった。その中でも50年代後期に生まれた九州派は社会問題について意識的な集団であり、特に地方と中央を対立軸にした問題提起をおこない、作品に地域性を象徴する素材を組み込む方法で美術の伝統を破壊しようとする反芸術へと展開を見せたことは、ソーシャリー・エンゲイジド・アートの萌芽を考える上で重要と言える。