リサーチラボの活動

国際デザイン・コンペ「Reimagining Museums for Climate Action」に入選

2021年07月23日

プロポーザルのイメージ画

2021年10月31日~11月12日に英国グラスゴーで開催される「COP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)」に合わせ、「Reimagining Museums for Climate Action(気候変動に対する行動のためのミュージアムを再構想する)」と題する国際デザイン・コンペが行われました。アート&ソサイエティ研究センターでは、このテーマに共感し、建築家と景観デザインの専門家に呼びかけてデザイン・コレクティブ(The Water Seeds-Sumida River Design Collective)を結成、都市を流れる川をミュージアムに活用するプランでこのコンペに応募しました。
このコンペには世界48ヵ国から264件の応募があり、私たちのプロポーザルは最終選考の8件に入ることは逃したものの、70件の入選作に残り、ウェブサイト「Museum for Climate Action」にその提案内容が紹介されました。

アート&ソサイエティ研究センターのウェブサイトにも掲載しています。

気候危機を考える若者の詩作とパフォーマンス《クライメート・スピークス》

2021年03月29日


このプログラムは、新型コロナ感染拡大が深刻化するなか、参加者および関係者の皆さまの健康・安全面を第一に考慮した結果、いったん開催を中止いたします。お申し込みいただきました皆さま、ご参加をご検討いただいていた皆さまに深くお詫び申し上げます。(2021年4月26日)


地球温暖化が急速に進み、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は2018年の『1.5℃特別報告書』で、1.5℃を超える気温上昇が人々の生活環境や生態系にもたらすさまざまなリスクを示して、危機回避策の緊急性を世界に訴えました。
残された時間は少ない!…差し迫る危機のなか、スウェーデンの高校生活動家グレタ・トゥーンベリさんの呼びかけで始まった「未来のための金曜日(FFF)」運動は世界中に伝播し、未来の社会を担う若者たちが、政府による脱炭素政策や人々の行動変容を求めて声を上げています。日本でも若者による「気候マーチ」のアクションやワークショップ、集会、提案などの活動が広がり、SDGsという言葉の浸透や管首相の2050年カーボンニュートラル宣言など、社会全体の方向転換への模索が始まっています。気候変動否定論者のトランプ大統領が退いた米国はパリ協定に復帰しました。

気候危機に取り組む国際的な環境団体350.org の創設者、ビル・マッキベンが2005年「What the Warming World Needs Now Is Art, Sweet Art(温暖化した世界に必要なのは芸術だ、素晴らしい芸術だ)」と題したエッセイを書き、アル・ゴアが出演した映画『不都合な真実』が(2006年)公開された頃から、アーティストたちは、個人で、あるいはコレクティブとして、この地球規模の大問題を、人間の感情に訴える表現によって取り組み始めました。関連分野とのコラボレーションも進み、米国では多くの大学で、芸術と気候変動に関する授業や学位プログラムが設けられています。

東京でも、若者たちの思いと創造性は、1.5℃の警鐘を受けたグローバルな動きを推進する力になるのではないか?
《クライメート・スピークス》は、詩作とパフォーマンスによって、気候危機をクリエイティブに訴えるアートプログラムです。これは、ニューヨークの非営利団体Climate Museumが2018年に立ち上げた同名のプロジェクトをモデルとしています。10代の若者たちが、気候変動とそれが社会に与える影響を学び、地球の今と未来へのメッセージを自らの言葉で綴り、思いを込めて朗読する! 私たちはその姿にインスパイアされ、東京での開催を企画しました。

Climate Museumは気候危機問題に対する人々の理解を深め、つながりを築き、正しい解決へのアクションを促すプログラムを、アートと科学を用いて提供するニューヨークのNPO。ミュージアムと称しているが専用の展示施設は持たず、さまざまな場で展覧会、トーク、ツアー、科学教育などを企画・実施しています。

実施内容とスケジュール

《クライメート・スピークス》プログラムは3ステージで構成されています。
※ 会場での実施については、新型コロナ感染状況によってオンラインに変更する場合があります。

[ステージ1|気候危機をテーマに詩をつくる]
参加者は、気候・環境に関する専門 家によるレクチャー、詩人による詩作レクチャーをオンライン会議システムで受講。その後、各自気候危機をテーマとする詩を書きます。 別日に参加者は自分の詩を持ち寄り、詩人と共に相互のディスカッションをへて、原稿をさらにブラッシュアップしていきます。

■環境・気候に関するレクチャー
講師:野村涉平(国立環境研究所 高度技術専門員)
5月16日(日)10:30~12:00  オンライン

■詩作に関するレクチャー
講師:藤原安紀子(詩人)
5月16日(日)13:30~15:00 オンライン

■詩作に関するワークショップ
講師:藤原安紀子(詩人)
A日程:6月13日(日)10:30~12:00 会場:ECOM駿河台
B日程:6月27日(日)13:30~15:00 会場:アーツ千代田3331 B105室
※ A日程、B日程のどちらかを選択してください

[ステージ2|詩の朗読を習う] ※希望者のみ
ステージ1の参加者のうち公開パフォーマンスに出演を希望する人は、プロのパフォーマーによるポエトリー・リーディング(詩の朗読)の指導を受けます。

■ポエトリー・リーディング コーチング
指導:山谷典子(劇作家 俳優)
日程:8月1日(日)13:30~15:30 会場:都内の小ホール

■ポエトリー・リーディング公開に向けたリハーサル 
指導:山谷典子(劇作家 俳優)
日程:8月8日(日)13:30~15:30 会場:ワテラスコモンホール

[ステージ3|舞台で詩を朗読する ]※希望者のみ
10名程度の最終選考に残った人が、都内の小劇場で自作の詩を読むパフォーマンスを披露します。パフォーマンス終了後には、コメンテーターを交えたアフタートークをおこないます。

■公開パフォーマンス
コメンテーター:石黒広昭(教育心理学者)/ 上野行一(美術による学び研究会 代表)/ 浦嶋裕子(MS&ADインシュアランスグループホールディングス総合企画部 サステナビリティ推進室 課長) / 藤原安紀子(詩人) / 山谷典子(劇作家 俳優)
日程:9月19日(日)14:00~16:00 会場:ワテラスコモンホール

募集要件

・ 東京都内・近郊在住の10代若者40名
・ 上記スケジュール「ステージ1」のレクチャーとワークショップの両方に参加できる人
※ ステージ2, 3は希望者, ステージ1日程 : 5月16日(日)オンライン・レクチャー , 6月13日 (日) または6月27日(日)のいずれか都内指定会場でワークショップ実施

参加申込方法

・ 参加無料、事前申込制(先着順)
・ 特設ウェブサイト内の申込フォームよりお申し込み下さい。

講師プロフィール

野村渉平 Shohei Nomura
1984年にニューヨークで生誕。幼少期から青年期にかけて、両親に連れられ様々な自然公園で過ごし、自然と人間との関りに興味を持つ。2012年に国立環境研究所に入所。現在、気候変動の主因である温室効果ガスの動態を明らかにするために、温室効果ガス観測の空白域であるアジア域とオセアニア域での観測点の展開、観測維持および観測データの解析を担当している。

藤原安紀子 Akiko Fujiwara
1974年京都府生まれ。2002年、第40回 現代詩手帖賞受賞。詩集に『音づれる聲』(2005年・歴程新鋭賞)、『フォトン』(2007年)、『アナザミミクリan other mimicry』(2013年・現代詩花椿賞)、『どうぶつの修復』(2019年・詩歌文学館賞)。詩誌『カナリス』編集同人。2016年より学園坂スタジオにて詩のワークショップ講師を務める。

山谷典子 Noriko Yamaya
劇作家、俳優。文学座附属演劇研究所を経て、文学座座員となる。2011年、演劇集団Ring-Bong(リンボン)を立ち上げ、劇作家として活動を開始。劇団俳優座、椿組、Pカンパニーなど外部からの依頼も多い。NHKラジオドラマも執筆。桜美林大学非常勤講師。都立総合芸術高校市民講師。日本劇作家協会協会員。

フライヤー(PDF)のダウンロード

主催|特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センター
助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
協力|環境総合誌BIOCITY、美術による学び研究会
協力|立教大学文学部石黒研究室

SEA専門マガジン『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版第3号発刊

2020年10月19日

黒い目出し帽をかぶり、拳を突き上げる姿は、1994年にメキシコ南部チアパス州で蜂起した先住民主体のゲリラ組織「サパティスタ民族解放軍」の女性リーダー、ラモナ司令官のコスプレ。演じているのは、ニューヨーク、クイーンズのラテン系移民女性コミュニティ「ムヘレス・エン・モビエント(移動する女性)」の創設者、ベロニカ・ラミレスさん。「規範に挑戦するアーティストたち」というこの号のテーマを象徴するビジュアルです。

「規範に挑戦するアーティスト」とは、身体的、経済的、制度的な理由で社会の「標準」からはずれ、「周縁」に位置づけられた人たちの経験と創造性を肯定し、彼らに対する人々の見方や態度を変ようとしているアーティストを意味しています。

オリジナル版には、再収録のエッセイを含めて6編の記事が掲載されていますが、メンタルヘルスや障害者の問題に関する記事は、米国での取り組みを日本に当てはめて考えるのは難しいため、日本語版には、社会復帰に困難がつきまとう元受刑者のアイデンティティ再生プロジェクト、ジェントリフィケーションで追い立てられる極貧層やホームレスのための住宅供給をアーティストが主導して実現しようとしている事例、差別や搾取の対象となる移民労働者の問題に「写真」というメディアを活用して連帯・抵抗するプロジェクトを掲載しました。

連載の「アーティストに聞く」では、ニューヨークのイースト川に浮かべたはしけをフードフォレストに変え、人々が集い、食の持続可能性を学ぶプロジェクト《スウェイル》で知られるメアリー・マッティングリーが読者からの質問に答えます。そして、ABOGのエグゼクティブ・ディレクター、デボラ・フィッシャーは、芸術機関を原子炉に喩えた興味深いエッセイを執筆しています。

Contents
▪︎ 第3号イントロダクション
▪︎ 未来の自分を思い描く:投獄後のアイデンティティの再生
▪︎ スキッド・ロウの低所得層住宅(アフォーダブルハウジング)を創造的に
▪︎ 移民の抵抗と連帯による協働のアート
▪︎ アーティストに聞く:メアリー・マッティングリーが質問に答える
▪︎ 芸術機関(アート・インスティチューション)を原子炉に喩えてみよう

『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版第3号PDFダウンロードはこちら(9.4MB)

SEA専門マガジン『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版第2号発刊

2019年12月22日

スキンヘッドの警官が真ん中に立つ、ちょっとドキリとするような表紙の第2号。これは、馬を仲介としたワークショップを通じて、コネチカット州ハートフォードの警官や学校警備員と若者との信頼を築く、メラニー・クリーンのプロジェクトの一場面です。

第2号のテーマは「Who(誰)」。「SEAは誰がつくり出すのか」に焦点を合わせています。前述のホースセラピーを用いたプロジェクト、ニューヨーク市がさまざまな部局にアーティストを配置する事業「パブリック・アーティスト・イン・レジデンス」の経験者3人による座談会、作曲家でサウンドアーティストのブライアン・ハーネティが故郷のアパラチアで取り組んでいるリスニング・プロジェクトが紹介され、「アーティストに聞く」では、アクティビスト・アーティストとして知られるドレッド・スコットが、SEAにおけるアーティストの役割について読者からの質問に答えています。
また、ABOGの創立者でエグゼクティブ・ディレクターのデボラ・フィッシャーによる芸術機関の在り方に関する連載エッセイが始まりました。日本語版第2号では、以下の記事を翻訳掲載しています。

  • 第2号イントロダクション
  •  パートナーとしての市:行政機関とコラボレートする3人のアーティスト
  • 「金継ぎ」というアート:若者、警察、馬がケアの政治を覆す
  •  とどまり、聞き、統合する:アパラチアの過去と現在を音でつなぐ
  • インスティチューションを進化させる:誰が帰属するのか?
  • アーティストに聞く:ドレッド・スコットが質問に答える

『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版第2号のダウンロードはこちら(PDF 3.4MB)

『SEAラウンドトーク記録集』を発刊

2019年10月15日

アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会では、2017年10月〜2018年7月まで10回にわたり「SEAラウンドトーク」シリーズを開催いたしました。このシリーズは、政治や社会に関心を持ち、第一線で活躍するアーティストをゲストに、彼/彼女がソーシャリー・エンゲイジド・アートをいかに捉え、自らの創作活動と社会との関わりをどのように考えているのかを生の声で聞き、聴講者と共にディスカッションする場として企画したものです。

その成果を『SEAラウンドトーク記録集 — アーティストは今、ソーシャリー・エンゲイジド・アートをいかに捉えているのか?』として冊子にまとめました。

入手ご希望の方は、以下のウェブページよりお申し込みください。

アート&ソサイエティ研究センター Publication

 

[Contents]

03 こあいさつ
04 SEA ラウンドトーク実施概要
06 SEA ラウンドトーク講師 プロフィール
–––––– –––––––––––––––––––––
08 清水美帆 | アートの楽屋―アーティストの視点から考えるアートと社会の関係
16 山田健二 | ポスト・スノーデン時代の映像表現
26 高山 明 | 演劇と社会
36 藤井 光 | SEAは可能か?
46 ジェームズ・ジャック | 海を中心とするSEA (=Socially Engaged Art and Southeast Asian Art)
56 池田剛介 | コトからモノヘ―芸術の逆行的転回にむけて
64 竹川宣彰 | ワークショップ:差別団体のデモに抗議してみる
74 岩井成昭 | 辺境=課題先進地域に求められるアートとは?
–––––– –––––––––––––––––––––
84 おわりに

 

[本文より]

  • 地元の人たちにとってアーティスト・イン・レジデンスは、アーティストが短期間ひょっこりやってきて、何かやって帰って行くものとも言える。そういう私たちの置かれた状況を改めて考えてみる機会でもあった。―清水美帆
  • 私はさまざまな場所で、現地に遺る歴史的遺構や遺物を現代に転用するような形で使い直すことや、物質的歴史と現代社会を密接に共存させる状況を意図的につくり出すことで大文字の歴史観を問うプロジェクトを催行してきた。―山田健二
  •  演劇の本質は、「観客がどういう社会モデルをつくるか」にあるのではないかと私は考えている‥‥社会に深く関与するアートがソーシャリー・エンゲイジド・アートであるならば、演劇はそもそもの始まりからして、ソーシャリー・エンゲイジド・アートだったと言えるのではないだろうか。―高山明
  • 今日さまざまな芸術活動において規制や検閲が語られている。それは大体において、何か絶対的な力なり、権力なりが抑圧する、またはSNSを通していろいろな人の声に恐怖してしまい、萎縮してしまうというイメージが浮かぶ‥‥規制や検閲という抑圧があったとしても、芸術の長い歴史の中でさまざまな傑作が生まれ得ていた。―藤井光
  • 昔から海は、隔てる壁ではなく、メディアとして人と人をつなげるものだった。海の重要な機能は「人々をつなげる柔軟な輸送路」なのだ。―ジェームズ・ジャック
  • ソーシャリー・エンゲイジド・アートは、旧来型のモノとしてのアートではない、ある種の社会参加や社会実践に重きを置いていると思う‥‥もう一度アートが持つモノを形作るということの意味を問い直し、その上で芸術と社会の関係を考えていくことが必要ではないか。―池田剛介
  •  「社会運動への興味」と「社会問題に介入するアート」への興味との間には根本的な隔たりがある。‥‥社会運動とアート、そこにはいかんともしがたい溝がある。アート側から「何々してみる」という形で社会にアクセスしていくと、いい結果が出ないと思う。―竹川宣彰
  • 「辺境」だと言わずとも、地方都市におけるアートの現場には、例外なくプレイヤーが不足している。‥‥しかし、そこに居合わせた人が、職業的な特質やスキルの通有部分を相互に共有することでコラボレーションが可能になることもある。‥‥「辺境芸術」の現場が活性化するのはこのようなケースである。―岩井成昭

SEA専門マガジン『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版を発刊

2019年06月06日

SEAに取り組む米国のアーティストに対象に、プロジェクト資金の助成と活動支援を行っているアートNPO「A Blade of Grass(ABOG)」が、2018年秋にSEAマガジン(年2回発行)を創刊したことは、以前ブログで紹介しましたが、このたびアート&ソサイエティ研究センターSEA研究会は、このマガジンの記事のいくつかを翻訳し、『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版として編集し、PDFファイルでの公開をスタートしました。

ABOGのプログラムが類似の助成事業と異なる特徴は、支援したプロジェクトに対して単に資金提供するだけでなく、実践の現場を継続して追いかけ、リサーチ、レポートし、ドキュメンタリー映像の制作までを行い、公開している点です。 ABOGのエグゼクティブ・ディレクター、デホラ・フィッシャーはこう書いています。「フィールドリサーチ(実地調査)は、金銭的支援を正当化するための“効果査定”とは異なり、SEAプロジェクトが実施されるときの肌触りやニュアンスを極めて豊かに伝えてくれる。私たちはそこから大きな学びを得ている」。このマガジンも、その学びを幅広くシェアし、SEAという領域をより可視化するために創刊されました。創刊号のテーマは「WHERE(どこ)」。日本語版では、ここに収録された記事のなかから以下の5本を選定しました。

・ 創刊号のイントロダクション
・ リック・ロウへのインタビュー
・ ジャッキー・スメルの《ソリタリー・ガーデンズ》を、異なる三者の視点でとらえた記事
・ スザンヌ・レイシーの回顧展のキュレーター、ドミニック・ウィルスドンによるエッセイ
・ アーティスト、ブレット・クックに対するQ&A

『ア・ブレイド・オブ・グラス』日本語版第1号のダウンロードはこちら(PDF 9.8 MB))

SEAの現場を多様な視点で洞察する記事は、日本における社会とアートの関係性に関心を持つ人々にも新鮮な刺激を与えてくれることと思います。今後、タイムラグは少しありますが、順次、日本語版を編集・公開していきたいと考えています。

(2019.6.6)

SEA展レクチャー報告:ダレン・オドネル(Mammalian Diving Reflex)

2017年03月30日

ママリアン・ダイビング・リフレックスの参加型パフォーマンスは「社会の鍼治療」
Participatory performance by Mammalian Diving Reflex is called “Social Acupuncture”
ダレン・オドネル Darren O’Donnell(ママリアン・ダイビング・リフレックス 芸術ディレクター)

2017年2月18日から3月5日までアーツ千代田3331で開催した「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」の一環として、カナダのアート&リサーチ集団ママリアン・ダイビング・リフレックスを招き、《子どもたちによるヘアカット Haircuts by Children》を東京で実施しました。このプロジェクトに合わせて初来日した、芸術ディレクター、ダレン・オドネル氏のレクチャー(2月24日開催)のエッセンスをレポートします。


2月24日、アーツ千代田3331にて photo by Haruhiko Muda

2月24日、アーツ千代田3331にて photo by Haruhiko Muda

Mammalian Diving Reflex(MDR)は、1965 年カナダ、エドモントン生まれの作家、脚本家、パフォーマンス・アーティストで都市計画の学位も持つ、ダレン・オドネルが 1993 年に設立したアート & リサーチ集団である。2003 年まではオドネルの舞台パフォーマンスが中心だったが、伝統的なヨーロッパ演劇の後進性や硬直性に限界を感じた彼は、「人々はお互いにどのように関わりあえるか」をテーマにアプローチの幅を広げ、学校や老人ホーム、地域組織、国際アート・フェスティバルなどとのコラボレーションで、“社会の鍼治療(Social Acupuncture)” と称する、挑発的な参加型プロジェクトを行うようになった。オドネルは2006年に著書『Social Acupuncture』を出版し、MDR の創造的方法論を確立するとともに、これまでに蓄積したデータや知見を生かして、他の芸術文化組織などへのコンサルティングも行っている。

 

社会の鍼治療(Social Acupuncture)とは

megan photo Yoshiaki Nanjo

《子どもたちによるヘアカット》2月26日、東京ビューティーアート専門学校にて  photo by Yoshiaki Nanjo

私は指圧を18ヵ月学び、漢方医学も勉強した。社会の鍼治療は、陰陽思想、つまり、世界には互いに対立する2つの存在で成り立っているという考え方に基づいている。富裕があるから貧困がある。白人という概念があるから黒人が存在する。
一方に過剰、一方に欠乏がある。それは、社会の中で資源の分配がうまくいっていないから。社会という身体にハリを突き刺して、エネルギーや資源の流れを変えるのが「社会の鍼治療」だ。
この考え方には、2つの前提がある。1つは、誰もみな、望ましい状況にあれば、寛容であるということ。もう1つは、余剰があっても、それが足りないところに流れていないこと。
そこで、社会的矛盾がバッテリーになり、パフォーマティビティの原動力となる。パフォーマティビティという言葉は「パフォーマンス的」という意味で使われることがあるが、私は言語学でいう「行為遂行性」の意味で使っている。つまり、あるセンテンスを言葉で発すること自体が、そのセンテンスの表している内容の実現となる、たとえば、牧師が結婚する2人に「私は今、あなたがたを夫婦と宣言する」というような場合だ。それによって、現実に2人の関係性は変わる。ある行為によって、何かが現実に変わるとき、私はそれをパフォーマティビティと言っている。
《子どもたちによるヘアカット》は、子どもたちが大人の髪を切る権利についての芝居ではない。子どもたちが現実にその権利を持つのだ。

 

ソーシャル・スペシフィックなアート・プロジェクト

心の鍛え方

オドネル氏のプレゼンテーションより作成

「社会の鍼治療」は、社会的・社交的関係(social relations)が主要な材料だ。画家がキャンバスを材料にするように。その意味で、私たちのアートワークはサイト・スペシフィックではなく、ソーシャル・スペシフィックである。そこでの最初の問いは「誰?」である。そこには少なくとも、2人の“whos”がおり、アーティストはその1人だろう。SEAプロジェクトは、よく「一般人general public」を対象にしているというが、私たちはgeneralではなく、specificな人々を対象にしている。
そして、人と人との間に社会的な不快感、不安感(social discomfort)を意図的に作り出す。《ヘアカット》では、子どもにとっても大人にとっても、落ち着かない状況が生まれる。そういう状況から寛大な精神が育つ。
図に示したのは、肉体にしても頭脳にしても、より大きく鍛えるためにはストレスが必要で、それによる障害を乗り越えてこそ成果が得られるというシナリオだ。大きな心は、他者から受けるストレスによって鍛えられる。

 

いくつかの事例

training photo Art & Society Research Center

《子どもたちによるヘアカット》ワークショップ。東京ビューティーアート専門学校にて

《子どもたちによるヘアカット》2月26日

《子どもたちによるヘアカット》パフォーマンス。初対面の子どもと大人が対話する

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チルドレンズ・チョイス・アワード photo:Mammalian Diving Reflex

アートの観点からいうと、《子どもたちによるヘアカット》はヘアスタイリングがアートではない。美容師がヘアカットの講習をするのは、上手に切ることを教えるのではなく、切ってもいいんだ、という自信を与えるため。子どもと大人の関係性がアートだ。日本ではどうか知らないが、イギリスやアメリカ、カナダでは、子どもは見知らぬ大人と話をしてはいけないと言われる。このプロジェクトは、全く縁のない2人の間で共有される、親密で希有な時間をめぐってのパフォーマンスである。
大人の社会が子どもをどう受け入れるかについてのプロジェクトには、他に《チルドレンズ・チョイス・アワード Children’s Choice Award》がある。これは、地域のアート・フェスティバルに、子どもたちが審査員としてVIP待遇で参加し、彼らが自分たちの選択基準で選んだ作品に賞を贈るというもの。これは、子どもたちにグッド・アートを教育することが目的だと思われがちだが、それはほんの一部で、「文化イベントは子どもたちをどう受け入れるか」の問い直しがメインテーマだ。これと同様の考え方で行っているのが《イート・ザ・ストリート Eat the Street》である。子ど

イート・ザ・ストリート photo by Lisa Kannakko

イート・ザ・ストリート photo by Lisa Kannakko

もたちが大人のオーディエンスと一緒に地域のレストランで食事をし、自分たちの価値観で評価を下す。このイベントも、様々な経済的、文化的バックグラウンドを持つ子どもたちにテーブルマナーやレストランでの振る舞い方を教育するためかと誤解されがちだが、そうではなく、子どもたちを大人の場に介入させることが目的だ。子どもたちだけでなく、MDRはシニアに注目したプロジェクトも行っている。《私が経験した全てのセックス All the Sex I’ve Ever Had》は、地域のシニア6人にこれまでのセックス体験を4時間にわたってインタビューし、計24時間の録音を90分の脚本に書き起こす。そして、6人がパフォーマーとして登場するステージ・ショーを一般公開する。このショーがユニークなのは、パフォーマーが観客に対して、自分の経験に基づいた質問をすることができること。たとえば「屋外でセックスする人は手を上げて」という軽い問いから始まって、質問はだんだんハードになり、会場で議論が展開する。もちろん、ここで語られた情報は会場の外には出さないことを観客にもプレスにも制約してもらっている。

私が経験した全てのセックス photo by Lucia Eggenhoffer

私が経験した全てのセックス photo by Lucia Eggenhoffer

 

若者とのコラボレーション

MDRは、トロントのパークデイル・パブリックスクールの子どもたちと継続的な取り組みをしてきた。2006年の《子どもたちによるヘアカット》から始まって、2009年《イート・ザ・ストリート》と続き、2010年、その1人の14歳の男の子が「次は何をするのか」と尋ねてきた。これをっかけに、地元のティーンエイジャーたちが「トロントニアンズ」というグループを結成、MDRとのコラボレーション・プロジェクト「ヤング・ママルズ Young Mammals」に発展した。
我々は若者たちの関心事を吸い上げ、彼らが持ち込んだコンテンツに、(アートとしての)形式を提供する。そうして生まれたプロジェクトの代表例が《ティーンエイジャーとの夜の徘徊 Nightwalks with Teenagers》だ。10代の若者とコミュニティの大人が、夜中に一緒に散歩するという企画で、現在は世界各地をツアーするまでになっている。どの地域で行うときも、少なくとも2人のトロントの若者が参加している。
我々は、若者たちとのコラボレーションにMDRの活動の将来への継承を期待している。そこでのキーコンセプトは、「Succession(継承)」「Collegiality(同僚意識)」「Social Capital(ソーシャル・キャピタルの共有)」「Love and Friendship(愛と友情)」、そして「Performativity(行為による実現)」である。

文:秋葉美知子

Mammalian Diving Reflex  website

Mammalian Diving Reflex  Facebook

 

SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第4回実施報告

2016年06月23日

【テーマ】    1960年代:反芸術

【プレゼンター】 工藤安代(A&S)、嘉藤笑子(NICA)

【日 時】    2016年5月20日(金)18:30-20:30

【会 場】    アーツ千代田3331 B1階 104室 (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )

【内 容】

1960年代におけるネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ゼロ次元、ハイレッド・センターらを中心に、読売アンデパンダン展の終了と同時期に発生した芸術運動に注目しながら、その中から現代のSEAにつながる要素を議論した。中でもハイレッド・センターの活動が芸術性と社会性を併せ持つとして取り上げられた。

《キーワード》

  • ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ
  • ゼロ次元
  • ハイレッド・センター
  • 反芸術論争
  • 直接行動
  • 読売アンデパンダン展

第4回SEAヒストリー研究会に参加して

反芸術のソーシャル・チェンジ

高嶋直人(アート&ソサイエティ研究センターインターン、ファーレ倶楽部会員)

DSCN5641第4回SEAヒストリー研究会は、第1回、第2回に引き続いて1960年代の美術史的観点から、現代のSEAにつながる歴史的要素を探すことを目的とした。議論は、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ゼロ次元、ハイレッド・センターらを中心とした当時の美術運動や、それらの作品が、東京都美術館の読売アンデパンダン展が終了した時代背景のもとで、いかに美術表現の領域を拡張したかに着目した。日本の現代社会においてソーシャル・チェンジを目指すSEAの在り方を模索するために、1960年代に美術館から離れて新たに表現の場を求めていったアーティストの行為と作品を検証することは有意義である。彼らはその状況で社会問題と自身の活動をどのように関連付けていたのだろうか。

つまり今回の研究会は、美術の伝統的価値を覆して「反芸術」と呼ばれた上記のグループ、また読売アンデパンダン展終了後に発生した前衛グループらがそれぞれ選んだ表現方法を改めて比較し、個々に展開した表現手段の中に社会的な問題意識を探り出す意図があった。また、東野芳明と宮川淳の反芸術論争をはじめ、読売アンデパンダン展に対する瀧口修造のコメントや、ハイレッド・センターに対する山田諭の批評などのように、具体的に美術の領域や美術と社会との関係性に言及した評論家の発言にも注視した。さらに、モデレーターが3つのグループの活動を写真図版とともにそれぞれの評論と照らし合わせながら紹介し、後半には時代背景として重要な読売アンデパンダン展の終了に議論の焦点を当てた。

使用した資料の中でも、名古屋市美術館学芸員を務める山田諭の評論「ハイレッド・センターを歴史化する」(『美術フォーラム21』)は、日本におけるSEAを考える上で参考になった。山田は、「直接行動」という言語を暴力的な抗議手段の意味を持つ政治用語と認識した上で、ハイレッド・センターの活動を芸術的な側面と社会的な側面を併せ持つ芸術的な直接行動と捉えた。

前回の研究会で指摘された、現行のSEAの3つの特徴(①ソーシャル・チェンジを志向していること、②アートと認められる表現活動であること、③ソーシャル・インタラクションがあること)と彼らの直接行動を照らしわせれば、重要な時代背景である読売アンデパンダン展の終了を含めて、十分に国内固有のSEAの歴史的萌芽だと解釈できるのではないか。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之がハイレッド・センターを結成したのは1963年であり、グループとしては読売アンデパンダン展最終回に出品した。既に1960年の同展において「陳列作品規格基準要項」(不快音、異臭、刃物など、観客や美術館に対し何らかの危険性を備え持つ作品を禁止する6項目)が発表されており、彼らの出品作品が反芸術なものとして「美術展」という枠を超え、結果として同展の終了を加速させた。

美術館の限界を超克し、さらに作品の価値を日常の中に転化させたハイレッド・センターの芸術的側面については割愛するが、山田が合わせて述べる社会的側面の内容は①ソーシャル・チェンジの志向と言い換えることが可能である。山田は彼らの直接行動における社会的側面の背景に、60年安保闘争の終焉から、国民所得倍増計画によって市民の意識が高度経済成長の潮流に飲み込まれ、日々の生活に埋没していった事実があると指摘する。つまり、巨大な資本主義社会の到来によって、経済活動という日常の中に埋没していく人々にハイレッド・センターは働きかけをしたと述べている。その代表的な事例が《首都圏清掃整理促進運動》だろう。彼らは公共空間を自分の部屋のように清掃する行為によってその微妙な違和感を鑑賞者に体感させ、平穏な日常の中で非日常的な何かを呼び起こす狙いがあった。市民による経済活動がごく一般的な現代においてはソーシャル・チェンジに不適切なテーマであるかもしれないが、60年安保という政治的エネルギーからの急転換を強いられた当時の青年層の中には、不安に駆りたてられた人たちも多数存在したと推測できる。ハイレッド・センターの直接行動は廃品、日用品を使用することにより美術館の規制を超克しただけではなく、日常性に溢れた高松の「紐」や赤瀬川の「紙幣」、中西の「洗濯挟」がそのような市民に対し社会的な問題意識を投げかけることに挑んだ。

以上のことから、ハイレッド・センターが日常という表現の場の中に社会的な問題意識を感じていたことは間違いないだろう。これらの具体的な事例がSEAそのものであったかと再度問われれば、上記③ソーシャル・インタラクションとしての要素が希薄である。しかし、これはハイレッド・センターがその直接行動によって公共空間に違和感や不審感を生むことを重視していたために、直接的に人々との関係を作ったり、日常的な交流をしたりしなかったと推測できる。その違和感や不審感とは、国民所得倍増計画を始まりとした急激で意図的な社会の転換にさえも、人々が埋没し得る社会問題に欠かせないと判断した故の実験的手法だったのだ。

《疑問点・問題提起》

  • 読売アンデパンダン展のような展示は現代において必要か。(その場合どこで何を展示するか)
  • 現代で読売アンデパンダン展のような展示は難しいのではないか。集客には共感を前に出さなければいけない風潮がある。
  • 読売アンデパンダン展はなぜ若手作家の公募を15回も続けられたのか。→ 読売グループとして、球団の活躍と広告の充実のためか。
  • ハイレッド・センターの直接行動は社会にエンゲイジしたと言えるか。

SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第3回実施報告

2016年05月13日

【テーマ】    1960年代、世界と日本の社会運動と文化状況

【プレゼンター】 秋葉美知子(アート&ソサイエティ研究センター主席研究員)

【日 時】    2016年4月22日(金)18:30-20:30

【会 場】    アーツ千代田3331 1階 ラウンジ (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )

【内 容】

世界的に歴史的転換期として知られる1968年を中心に、国内外の社会運動と文化状況の関係性を考察した。特に、パリ五月革命とベ平連に注目し、それらの市民主体で行われた社会運動の中に創造的表現が見い出せることを、図版やスライドを用いて紹介。今回は美術史から社会に対する視点を探るのではなく社会運動にどのような表現方法が用いられたかに注目して、SEAにつながる要素を考察した。

《キーワード》

  • パリ五月革命
  • ベトナム戦争
  • ベ平連
  • フォークゲリラ

 

第3回SEAヒストリー研究会に参加して

ソーシャル・インタラクションとしてのポエトリー(詩)

高嶋直人(アート&ソサイエティ研究センターインターン、ファーレ倶楽部会員)

第3回SEAヒストリー研究会は、国内外で同時的に重要な社会運動が起きた1960年代、特に1968年を中心にそれらの運動を考察し、用いられた創造的表現に焦点が当てられた。なかでも同年のパリ五月革命時に街中の壁に現れたポスターやメッセージなど、市民による分野横断的な表現手段を観察することは、当時の学生や労働者がどのようにアート的な表現を取り入れた抗議活動を行ったかが推察できるものだった。さらには、それと類似性のある市民運動として1965年に日本で発足した反戦団体「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を取り上げ、社会運動に伴ったソーシャリー・エンゲイジド・アートの歴史が欧米に限らず国内にも存在する可能性を示した。

前回、前々回の研究会では、美術史の観点から作品や作家がどのように社会と向き合ってきたかを考察してきたが、今回は市民主導の社会運動がいかにアート的な表現を用いて人々にアピールしたかに注目した。今回は冒頭にモデレーターが世界的な潮流となっているSEAの特徴を、①「ソーシャル・チェンジを志向していること」、②「アートと認められる表現活動であること」、③「ソーシャル・インタラクションがあること」と3点に集約したが、今回のテーマは③に大きく関係するものだと感じた。SEAでは、社会的な問題に対しアーティストと参加者双方が問題意識を共有している。市民主導の運動からアート的な表現を抽出することは、アーティストと運動参加者の協働によって、どのように共感を得る表現手段を生みだせるか、という点で大いに国内のSEAの可能性を掘り起こし得ると考える。

研究会では、図版のスライドショーと配布資料によって、五月革命やベ平連を中心とした国内外のプロテスト表現の様子が参加者に共有された。両運動には直接的な関係は無いものの、パリ五月革命の発端とされる学生を主体としたド・ゴール政権下の教育政策への抗議が、ベトナム戦争反対へと拡大した経緯は存在する。さらに、ベ平連も国内における60年安保に反対していた「声なき声の会」を母体とし、米軍の北爆開始を機に結成された点においては、両者が冷戦時代に生まれた代表的な大衆発の運動として共通していることが分かる。

両者の成立背景の共通点をあげたところで、運動に対するアートの役割、活動としての共通点をまとめる。パリ五月革命は街中の壁に出現した手書きによるスローガンとポスターデザインがとりあげられた。工場やスパナなどの、労働を想起させるイラストや短い言葉を用いてシンプルにデザインされたポスターは運動を先導した大学生が占拠した美術学校を拠点に、一日当たり数千枚のシルクスクリーンによる印刷で作られた。ここで注目すべきことは、壁の落書きやポスターに、学生にとっての教育制度、労働者にとっての労働環境に対する具体的な要求が書かれたわけではなく、「想像力が権力を奪う」「敷石の下にある、それは砂浜・・・」というような詩的な言葉が用いられたことである。これは第二次世界大戦後にルーマニアの詩人イジドール・イズーがパリで提唱したレトリスムの影響を受けたものと言われ、独自の社会変革理論を伴った前衛的な言語の使われ方が見られるものである。レトリスムによる言語が新たな伝達手段、また前衛的な方法論として確立していたことが当時の若い学生に浸透していたと十分に推察できる。

一方国内のベ平連における表現活動については、岡本太郎や粟津潔といった日本を代表するアーティストやデザイナーの参加が特徴付けられた。ベ平連の事務局長吉川勇一に関する資料によれば、銀座東急ホテルにて行われた相談会の中で、メンバーであった評論家の鶴見俊輔がワシントンポスト紙に出す意見広告のコピー「殺すな」の題字デザインに岡本太郎を抜擢したという。グラフィックデザイナーの粟津潔や美術家の横尾忠則らも、ベ平連が発刊した「週刊アンポ」の表紙デザインを担当している。デザインという点では、ベ平連とは別に全国で激化した学生闘争の中で簡体字を使った独特の角張った書体「ゲバ文字」という独特のカリグラフィー文化が生まれたことを現代の社会学者小熊英二が振り返っているが、歌(フォークソング)も、ベ平連のもうひとつの表現手段であった。フォークゲリラと呼ばれた反戦集会に参加していた大木晴子のインタビューでは、ゲバ文字を用いていた新左翼という過激な活動家がいたことに対し、ベ平連はフォークソングと花束を用いた非暴力のゲリラ運動をしていた庶民的な団体だったことが強調されていた。

私は五月革命の詩的なスローガンと、ベ平連のフォークソングの活用に不明確ではあるが共通項を感じる。戦争や権力、社会制度に対して怒りをおぼえる青年層にとって、詩にのせたメッセージの表現の中に自由や生命に対する希望が重なっていたのではないだろうか。つまりは、詩的な表現を含む活動はソーシャリー・エンゲイジド・アートに欠かせないソーシャル・インタラクションの要素として市民の共感と結びつくのだと思う。現代におけるSEAという活動は、アーティストの存在が重要な役割を果たすだけでなく、社会的なことに対する市民の問題意識が主体的に伴うものとされる。今回の研究会でクローズアップされた国内外の社会運動の事例から、アーティストと市民の主体性を繋ぐものとして、詩という表現手段が国内におけるSEAの実現へ手がかりになる可能性があると感じた。

 

《疑問点・問題提起》

  • 五月革命の外壁のスローガンなど市民による創造的表現は、アーティストへ具体的な影響を与えたのか。
  • 美術表現の制度化を批判した日本の美共闘のようなグループはソーシャル・チェンジを試みたと言えるか。