現地レポート:プロジェクト・ロウ・ハウス(テキサス州ヒューストン)
「プロジェクト・ロウ・ハウス(Project Row Houses)は、アーティストが主導する持続可能な地域再生モデルとして、必ずといっていいほどSEAの代表事例にあげられるプロジェクトだ。このプロジェクトが展開しているテキサス州ヒューストンは、全米で4番目に人口の多い都市である。石油産業の中心地で、NASAのジョンソン宇宙センターや世界最大級の医療センターも立地し、工業・科学技術都市のイメージが強いが、シアター・ディストリクト、ミュージアム・ディストリクトといった芸術文化施設の集積地域を持つ、文化都市の側面もある。
そのなかで、「プロジェクト・ロウ・ハウス(以下PRH)」は、異色の存在と言ってもいいだろう。
PRHは、1993年、アーティストのリック・ロウが、低所得のアフリカ系アメリカ人が多く住む、当時はヒューストンで“最悪”の住区と言われていた「第3区」で、荒廃し、取り壊される予定だった22戸のショットガンハウスをアーティスト/アクティビスト仲間の協力を得て買い取ったことから始まった。彼らはボランティアを集めてその建物を修復し、さまざまな助成金を得ながら、ギャラリー、アーティスト・イン・レジデンス、若い未婚の母のための一時的住居(Young Mothers Program)などに変えていった。この活動はその後も持続、成長し、地域のニーズに応えるさまざまなプログラムや、低家賃の賃貸住宅の提供を行っている。
2015年12月、記録的暖冬のヒューストンでPRHを訪ね、エグゼクティブ・ディレクターのユーリカ・ギルキーさん、パブリック・アート・ディレクターのライアン・デニスさんに話を聞くことができた。
ユーリカさんは、2015年の春エグゼクティブ・ディレクターのポストについたばかりだ。彼女は、オバマ政権のスタッフとしてワシントンDCで仕事をしていたが、2013年に新天地を求めてLAに移り、しばらくハリウッドで働いたのち、事故で足を折ったことをきっかけに、故郷のヒューストンに戻った。そこでPRHの人材募集の話を聞き、応募したという。公共政策が専門で、アートのバックグラウンドはないが、PRHは単なるアート組織ではないので、「コミュニティで起こっていることに対応し、会話を起こしていくためには、community political engagementの知識とスキルを持つ人がいることがとても重要なのよ」とライアンさんが言う。
ライアンさんはアートのバックグラウンドの他、アフリカン・アメリカン・スタディやコミュニケーション、マーケティングも学んでいる。SEAのキュレーターには、さまざまなスキルが絶対に必要だという。
PRHにユーリカさんのような政治の世界での経験を持つ人材が必要なのは、この地域の現状にある。超高層のオフィスビルが林立するダウンタウンからも全米屈指の医療センターからも近い地理的条件から、商業施設や住宅開発業者が手を伸ばしてきている。「ジェントリフィケーションは必ずしもポジティブな意味を持つとは限りません。元から住んでいる人たちを追い出さない開発のやり方があるはずです」とユーリカさんは言う。そのためには、政治家や中小ビジネスオーナーなどとの協力関係を築かねばならない。それに加えて、「地域の発展にアートの要素は間違いなく重要です。PRHがそれを証明しています」。
そのアート要素を担うライアン・デニスさんの肩書きは「パブリック・アート・ディレクター」。パブリック・アートというと野外彫刻を連想する人も多いが、PRHはこの言葉をどう定義しているのかを聞くと、「人々とエンゲイジするもの。人々が共有する体験や時間をめぐって会話を促すもの。インタラクティブ・エンゲイジメントを生み出すものです。公園の彫刻にも価値があると思いますが、それはしゃべらないでしょ」。PRHのパブリック・アート・プログラムには、「アーティスト・ラウンズ」「アーティスト・レジデンシー」「アーティスト・スタジオ」の3つがある。その中心は、毎年春と秋に約4ヵ月間、7人(組)のアーティストが7棟の展示スペースでインスタレーションを展開する「アーティスト・ラウンズ」で、ライアンさんがディレクターになってから、毎回テーマ設定をしてアーティストを公募しているという。筆者が訪問したときはRound 43の開催中で、そのテーマは、“Small Business/Big Change: Economic Perspectives from Artists and Artrepreneurs”。まさに、現在第3区が直面している地域経済の問題に、アートの視点から取り組んだものだ。創造的アントレプレナーやアーティストが、ショップやライブラリー、学習センターを開いたり、黒人社会の経済を題材にインスタレーション作品を展示したり、関連したイベントや講演会も行われている。
2014年、PRHの創立者リック・ロウが、米国で“天才賞”と呼ばれる、マッカーサー財団のマッカーサー・フェローズに選ばれた。その結果、パブリシティがとても増えた。「私たちの仕事が認められたと思います。でも、私たちはまだまたコミュニティ内で、そして全国的にやるべきことがたくさんあります。この機会を利用して、勢いをつけなければなりません。マッカーサー・フェローに選ばれて地域から出てしまう人もいるようですが、リックはここにとどまって、コミュニティに献身しています。それによって、より多く、多様なリソースやサポートを得られるようになりました」と、2人は言う。他地域のコミュニティ・プロジェクトにアドバイスする機会も増えた。しかしどこでもPRHを再現できるわけではなく、条件や人々や法律などが異なるので、それぞれがチャレンジングだという。そして実際、リック・ロウに影響を受けたアーティストたちが自分たちの地元でコミュニティの文化の再生に成功する事例も現れている。最近「ニューヨークタイムズ」が、リック・ロウ、シカゴのシアスター・ゲイツ、ロサンゼルスのマーク・ブラッドフォードの3人の活動を“Three Artists Who Think Outside the Box”と題して大きく紹介した。社会におけるアートの可能性が一般にも理解され始めているようだ。
「あなたはアートてはなくソーシャル・ワークをしているのではないか、と問われることがあると思います。それに対してどうレスポンスするのですか」と聞くと、「Come and Visit! と答えるわ」とライアンさん。「私たちは、アートはフォーマルな場所で起こると考えるよう条件付けられていて、そこを離れると価値がなくなると思っています。でも、全てのコンテクストは作品をめぐって変わります。私たちがここで行っているのは、ソーシャル・プラクティスと呼ばれようと、ソーシャリー・エンゲイジド・アートと呼ばれようと、コミュニティ・ベイスト・アートと呼ばれようと、地域で何が起こっているかを省察することです。私はここを訪問するよう薦めると同時に、アートの見方や定義や可能性を拡張してほしいと思います。アートは美術館にも、オルタナティブ・スペースにも、屋外にも、私たちのまわりにも存在します」
「PRHの将来的な目標は?」
「たくさんあります…最近5年計画をつくったのですが、主な目標をあげれば、社会的セーフティーネットの充実、パートナーの拡大、パブリック・アート・プログラムの継続、資金源の多様化、第3区と関連したPRHのレガシーの構築などですね」(ユーリカ)
「本をつくる予定はないのですか?」 「それはもちろんやりたいです。20周年のときに本の構成や目次まで考えたんですけど、例によって、資金調達がペンディングです」(ライアン)
「マテリアルはたくさんありそうですね」 「ええ、山ほどあります。先日、ある資料があやうくシュレッダーにかけられようとしていたのを、阻止しました(笑)。スライドのアーカイブもありますが、きちんと分類されていません。リック・ロウ・ファイルという彼の20年間の予定表も残っています。私たちはアーキビストが必要です。アーキビスト・レジデンシーを考えたいわね」(ライアン)
「ところで、リックさんは個人的にどういう人物ですか?」 「夢想家に見えるかもしれませんが、彼は、当時最悪だったこの地区に、美と変化の可能性を見たんですね。タフなリーダーで、コミュニティへのコミットメントは比類ないです」(ユーリカ)
「そう、比類ない人です。彼は人々を結集し、物事を実現する方法を知っています。彼は人が何を求めているかを洞察する力があって、それを協働ネットワークで一つにまとめることができる。それはパワフルです」(ライアン)
PRHが立地するヒューストンの北部第3区は、ダウンタウンからクルマで10分ほどの距離。大都市の住宅地開発は西高東低のケースが多いが、ヒューストンも高級住宅地は西部に広がり、ダウンタウン東部にあたるこの地区は、確かにpoor neighborhoodという印象で、不動産業者による「家買います」という看板が立っていたりする。昔からの住民を追い立てるようなジェントリフィケーションに歯止めをかけ、地域に社会的セーフティーネットを提供し、アーティストに機会を与え、アートの定義を拡張する……今や全米で注目される存在となったPRHだが、それだけに、このプロジェクトの未来に多くの目が注がれている。ユーリカさんが言うように、地域的、全国的にやるべきことは多いだろう。アートと社会的ニーズを結びつけたコミュニティ再生モデルとして、PRHの今後の展開とともに、20余年の歩みをまとめた本の発刊を期待したい。
(秋葉美知子)
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