論考:ヒストリオグラファーとしてのアーティスト?

ヒストリオグラファーとしてのアーティスト?

Art of Remembering in the Age of Forgetting, Art of Listening in the Age of Talking, and Art of Imagination in the Age of Totalitarianism

山本浩貴(ロンドン芸術大学TrAIN研究センター博士課程)

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昨年の話になるが2016年10月16日に岡崎のMasayoshi Suzuki Galleryで行われたレクチャー・トーク「修史家(ヒストリオグラファー)としてのアーティスト」を藤井光氏、山田健二氏、横谷奈歩氏と協同で行なった。このトーク・イベントは、ある学会での発表のために執筆した同タイトルの論文『修史家(ヒストリオグラファー)としてのアーティスト』の中で言及したアーティストたちと共に、より実際的な活動のディテールの話やアーティスト同士の議論を深める意図であいちトリエンナーレ2016の関連イベントとして行われた。

今後それぞれのアーティストからの寄稿文や後日談の一部もこのブログで紹介されるようであるが、今回は先ずトークの冒頭でのイントロダクションとして用意した短い文章に、若干の修正を加えた論考を紹介したい。思いついたことを思いついたままに書き並べてみた文章なので、フォーマルな形式の論文とは異なり、論理の飛躍やdisconnectionが散見されるが、そもそも人間は論理によってのみできているわけではなく、思考の流れのようなものをそのまま示すのもありだと思い、あえてほとんど修正は加えていない。

「忘却」することが例外というよりはむしろと規範となった時代において「記憶」すること、あるいは「話す」ことが自らを世界に参入させるほとんど唯一の方法となった時代において「聞く」ことはいかにして可能となるだろうか?「忘却」の過剰に抗して「記憶」の意義を、「話すこと」の飽和に対して「聞くこと」の価値を再考することにアートはどのようなかたちで関わることができるだろうか?

エルネスト・ルナンの言う通り、忘却が「国家(あるいは国民)」という装置を創出するための「本質的因子」であったとすれば、グローバリゼーションとマルチ・カルチュラリゼーションがとどまるところを知らない現在において求められているものは、さらなる忘却の積み重ねではなく、別のかたちの記憶の仕方であろう。すなわち、国民国家という、ベネディクト・アンダーソン的な「想像の共同体」にまつわる語りとは異なる、それを作り上げる過程で生まれた無数の忘却を掬いあげることのできる、別の可能な記憶の仕方、すなわち物語(narrative)が求められている。

声の大きな者が(良かれ悪しかれ)社会的なうねりを作り出す一方で、抑圧された者が発する声なき声はより大きな声にかき消されてしまう。「耳を傾ける技術」(Back, 2007)もまた必要とされている。しかし「聞く」ことを早急に「話す」ことと結びつけることには注意が必要である。それは誰か「のために/代わって話す(speak for)」ことを装って、自らの考えを述べているにすぎないことが往々にしてあるからだ。現代アートのバズワードでもある、「表象(representation)」という言葉の2つの異なる意味をめぐる論考の中で、ガヤトリ・スピヴァクは、誰かのために/に代わって語ることができるという「特権」が反対に何を不可能にしているかを考えることの必要性を論じている。

Furay & Salevouris (1988)は、「ヒストリオグラフィー(historiography)」を「歴史記述の歴史(the history of historical writing)」と定義している。「歴史記述」、すなわち、「歴史を書く」という行為は、それ自体が既に必然的に選択的な行為である。この点に関する最も著名な議論の1つがヘイドン・ホワイトによる「メタヒストリー」であり(White, 1973)、それによれば、歴史家が出来事に物語の形式を付与して初めて、それらの出来事は歴史記述になるという。そのため、ポール・リクールが言うように、「ある歴史的な出来事を語る複数の物語が存在し、それらが対立する」(Ricœur, 2004)状況が生まれるというわけである。
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「AとしてのB」というときには、たいていの場合、反対の、しかし二律背反ではない含意がある。すなわち、「AはBと似ている」と「AはBではない」という、相反する2つの意味である。言い換えれば、「A≒B」であるにもかかわらず(であるがゆえに)、けっして「A=B」ではありえず、あくまで「A≠B」にとどまるということである。この線に沿って、「ヒストリオグラファー(A)としてのアーティスト(B)」を考えてみたい。

先述した『メタヒストリー』の副題は「19世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力」である。この「想像力」という言葉は、ヒストリオグラファーとアーティストを結ぶ、重要な鍵概念であると考えている。というのも、アートは想像力を前提にして成立していると考えるからだ。これは、演劇や文学といった他の文化的営みについても同じことが言えるだろう。

僕の(拙い)理解では、スピノザは、情動と権力について考える中で、人々を恐怖によって操作し、希望を餌として与えることで、権力が生まれると分析している(『国家論』)。人間がいかに簡単に恐怖に突き動かされて集団的ヒステリーに陥るかということについては、関東大震災における朝鮮・中国の人々や社会主義者に対する虐殺を見れば明らかだ。私たちの想像力は、時代や権力の作り出した限定的な空間の中で制限されている。「大空を自由に羽ばたく」想像力という比喩は神話にすぎない。

このような拘束の中で、アートは想像力のオルタナティブなあり方を提示するためにきわめて有効な技法の1つではないか、というのが重要な主張の1つである。ある全体主義的な権力によって押し付けられた、あるいは、ある特殊な空間でのみ可能であるような想像力とは別の形の想像力がある、その可能性を指し示す技術ということだ。可能な想像力の形式が複数あり、しかもそれが、自らが「当たり前」であると思い込んでいるものとは異なる形式で存在するということは、しばしば恐怖と不快を与えるが、アートという経験はそのような状態に耐える訓練場となりうるかもしれない。

ある歴史上の出来事を解釈する複数の、しばしば対立する見方があるということを述べたが、「公式の」歴史を書くというプロセスは、他の様々な歴史を周縁化し抑圧することに他ならない。ベンヤミンを引くまでもなく、規範的な歴史の物語はしばしばマジョリティや権力者といった強者の視点から書かれてきた。アートは周縁化され、抑圧されてきた別の歴史を、ある特異な仕方で歴史の表舞台に引き戻す可能性を持つ。これがもう1つの主張である(あくまで個人的な主張であって、シンポジウム全体の主張ではない)。

ここにおいてアートの可能性はヒストリオグラファーのそれと交差する。カルロ・ギンズブルクはベンヤミンの「歴史の概念に関して」の中の「歴史をさかなでする」という表現を解釈して次のように述べる(Ginzburg, 1999)。「私たちは証拠をさかなでに、それを生産したものの意図に逆らって読むことを学ばなくてはならない」。

最後に、「A≠B」という視座から批判的な問題提起を行い、このイントロダクションを終わりたい。アート・プロジェクトを行うアーティストは必ずと言っていいほどリサーチを行う。リサーチ能力に優れたアーティストがたくさんいることは確かですが、専門家に比べればアマチュアの域を出ないとも言える。そこで、「どのように」リサーチによって集めた素材を見せるかということがアーティストにとって重要になる。すなわち、素材の加工である(これは歴史家も一緒であるが)。

アートは視覚や感覚に訴えることによって、新しい想像力や主体を立ち上げることができる(と考える)。かつて「エスノグラファーとしてのアーティスト」に対してなされたように、ヒストリオグラファー的なアプローチを採るアーティストに対して、そのリサーチの過程における瑕疵や不徹底を指摘することはできますが(そして、当然ながら、それが有効かつ必要な批判である場合もある)、より生産的な議論のためには、アート独自の方法で「歴史」というものにアプローチする、その方法を吟味し、議論することが大切であると考えている。正直なところ、そのはっきりとした答えはまだ見えていないというのが現状であるけれども、次回2月22日にアーツ千代田3331で開催するこのレクチャー・トークの続編では同じ世代を生きているアーティスト、キュレーター、研究者、その他さまざまな関心を持つ方々との対話の中でそれが浮かび上がってくることを期待している。

 

[次回イベント情報]
『ヒストリオグラファーとしてのアーティスト? : 記憶、忘却、物語』
日時:2017年2月22日 19:00 – 21:00
場所:アーツ千代田3331 メインギャラリー(千代田区外神田6-11-14)
モデレーター: 崔 敬華
登壇アーティスト: 藤井 光、山田健二、山本浩貴、横谷奈歩
入場料:500円
主催:nap gallery