SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第3回実施報告

【テーマ】    1960年代、世界と日本の社会運動と文化状況

【プレゼンター】 秋葉美知子(アート&ソサイエティ研究センター主席研究員)

【日 時】    2016年4月22日(金)18:30-20:30

【会 場】    アーツ千代田3331 1階 ラウンジ (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )

【内 容】

世界的に歴史的転換期として知られる1968年を中心に、国内外の社会運動と文化状況の関係性を考察した。特に、パリ五月革命とベ平連に注目し、それらの市民主体で行われた社会運動の中に創造的表現が見い出せることを、図版やスライドを用いて紹介。今回は美術史から社会に対する視点を探るのではなく社会運動にどのような表現方法が用いられたかに注目して、SEAにつながる要素を考察した。

《キーワード》

  • パリ五月革命
  • ベトナム戦争
  • ベ平連
  • フォークゲリラ

 

第3回SEAヒストリー研究会に参加して

ソーシャル・インタラクションとしてのポエトリー(詩)

高嶋直人(アート&ソサイエティ研究センターインターン、ファーレ倶楽部会員)

第3回SEAヒストリー研究会は、国内外で同時的に重要な社会運動が起きた1960年代、特に1968年を中心にそれらの運動を考察し、用いられた創造的表現に焦点が当てられた。なかでも同年のパリ五月革命時に街中の壁に現れたポスターやメッセージなど、市民による分野横断的な表現手段を観察することは、当時の学生や労働者がどのようにアート的な表現を取り入れた抗議活動を行ったかが推察できるものだった。さらには、それと類似性のある市民運動として1965年に日本で発足した反戦団体「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を取り上げ、社会運動に伴ったソーシャリー・エンゲイジド・アートの歴史が欧米に限らず国内にも存在する可能性を示した。

前回、前々回の研究会では、美術史の観点から作品や作家がどのように社会と向き合ってきたかを考察してきたが、今回は市民主導の社会運動がいかにアート的な表現を用いて人々にアピールしたかに注目した。今回は冒頭にモデレーターが世界的な潮流となっているSEAの特徴を、①「ソーシャル・チェンジを志向していること」、②「アートと認められる表現活動であること」、③「ソーシャル・インタラクションがあること」と3点に集約したが、今回のテーマは③に大きく関係するものだと感じた。SEAでは、社会的な問題に対しアーティストと参加者双方が問題意識を共有している。市民主導の運動からアート的な表現を抽出することは、アーティストと運動参加者の協働によって、どのように共感を得る表現手段を生みだせるか、という点で大いに国内のSEAの可能性を掘り起こし得ると考える。

研究会では、図版のスライドショーと配布資料によって、五月革命やベ平連を中心とした国内外のプロテスト表現の様子が参加者に共有された。両運動には直接的な関係は無いものの、パリ五月革命の発端とされる学生を主体としたド・ゴール政権下の教育政策への抗議が、ベトナム戦争反対へと拡大した経緯は存在する。さらに、ベ平連も国内における60年安保に反対していた「声なき声の会」を母体とし、米軍の北爆開始を機に結成された点においては、両者が冷戦時代に生まれた代表的な大衆発の運動として共通していることが分かる。

両者の成立背景の共通点をあげたところで、運動に対するアートの役割、活動としての共通点をまとめる。パリ五月革命は街中の壁に出現した手書きによるスローガンとポスターデザインがとりあげられた。工場やスパナなどの、労働を想起させるイラストや短い言葉を用いてシンプルにデザインされたポスターは運動を先導した大学生が占拠した美術学校を拠点に、一日当たり数千枚のシルクスクリーンによる印刷で作られた。ここで注目すべきことは、壁の落書きやポスターに、学生にとっての教育制度、労働者にとっての労働環境に対する具体的な要求が書かれたわけではなく、「想像力が権力を奪う」「敷石の下にある、それは砂浜・・・」というような詩的な言葉が用いられたことである。これは第二次世界大戦後にルーマニアの詩人イジドール・イズーがパリで提唱したレトリスムの影響を受けたものと言われ、独自の社会変革理論を伴った前衛的な言語の使われ方が見られるものである。レトリスムによる言語が新たな伝達手段、また前衛的な方法論として確立していたことが当時の若い学生に浸透していたと十分に推察できる。

一方国内のベ平連における表現活動については、岡本太郎や粟津潔といった日本を代表するアーティストやデザイナーの参加が特徴付けられた。ベ平連の事務局長吉川勇一に関する資料によれば、銀座東急ホテルにて行われた相談会の中で、メンバーであった評論家の鶴見俊輔がワシントンポスト紙に出す意見広告のコピー「殺すな」の題字デザインに岡本太郎を抜擢したという。グラフィックデザイナーの粟津潔や美術家の横尾忠則らも、ベ平連が発刊した「週刊アンポ」の表紙デザインを担当している。デザインという点では、ベ平連とは別に全国で激化した学生闘争の中で簡体字を使った独特の角張った書体「ゲバ文字」という独特のカリグラフィー文化が生まれたことを現代の社会学者小熊英二が振り返っているが、歌(フォークソング)も、ベ平連のもうひとつの表現手段であった。フォークゲリラと呼ばれた反戦集会に参加していた大木晴子のインタビューでは、ゲバ文字を用いていた新左翼という過激な活動家がいたことに対し、ベ平連はフォークソングと花束を用いた非暴力のゲリラ運動をしていた庶民的な団体だったことが強調されていた。

私は五月革命の詩的なスローガンと、ベ平連のフォークソングの活用に不明確ではあるが共通項を感じる。戦争や権力、社会制度に対して怒りをおぼえる青年層にとって、詩にのせたメッセージの表現の中に自由や生命に対する希望が重なっていたのではないだろうか。つまりは、詩的な表現を含む活動はソーシャリー・エンゲイジド・アートに欠かせないソーシャル・インタラクションの要素として市民の共感と結びつくのだと思う。現代におけるSEAという活動は、アーティストの存在が重要な役割を果たすだけでなく、社会的なことに対する市民の問題意識が主体的に伴うものとされる。今回の研究会でクローズアップされた国内外の社会運動の事例から、アーティストと市民の主体性を繋ぐものとして、詩という表現手段が国内におけるSEAの実現へ手がかりになる可能性があると感じた。

 

《疑問点・問題提起》

  • 五月革命の外壁のスローガンなど市民による創造的表現は、アーティストへ具体的な影響を与えたのか。
  • 美術表現の制度化を批判した日本の美共闘のようなグループはソーシャル・チェンジを試みたと言えるか。

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