リサーチラボの活動

SEA展レクチャー報告:ダレン・オドネル(Mammalian Diving Reflex)

2017年03月30日

ママリアン・ダイビング・リフレックスの参加型パフォーマンスは「社会の鍼治療」
Participatory performance by Mammalian Diving Reflex is called “Social Acupuncture”
ダレン・オドネル Darren O’Donnell(ママリアン・ダイビング・リフレックス 芸術ディレクター)

2017年2月18日から3月5日までアーツ千代田3331で開催した「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」の一環として、カナダのアート&リサーチ集団ママリアン・ダイビング・リフレックスを招き、《子どもたちによるヘアカット Haircuts by Children》を東京で実施しました。このプロジェクトに合わせて初来日した、芸術ディレクター、ダレン・オドネル氏のレクチャー(2月24日開催)のエッセンスをレポートします。


2月24日、アーツ千代田3331にて photo by Haruhiko Muda

2月24日、アーツ千代田3331にて photo by Haruhiko Muda

Mammalian Diving Reflex(MDR)は、1965 年カナダ、エドモントン生まれの作家、脚本家、パフォーマンス・アーティストで都市計画の学位も持つ、ダレン・オドネルが 1993 年に設立したアート & リサーチ集団である。2003 年まではオドネルの舞台パフォーマンスが中心だったが、伝統的なヨーロッパ演劇の後進性や硬直性に限界を感じた彼は、「人々はお互いにどのように関わりあえるか」をテーマにアプローチの幅を広げ、学校や老人ホーム、地域組織、国際アート・フェスティバルなどとのコラボレーションで、“社会の鍼治療(Social Acupuncture)” と称する、挑発的な参加型プロジェクトを行うようになった。オドネルは2006年に著書『Social Acupuncture』を出版し、MDR の創造的方法論を確立するとともに、これまでに蓄積したデータや知見を生かして、他の芸術文化組織などへのコンサルティングも行っている。

 

社会の鍼治療(Social Acupuncture)とは

megan photo Yoshiaki Nanjo

《子どもたちによるヘアカット》2月26日、東京ビューティーアート専門学校にて  photo by Yoshiaki Nanjo

私は指圧を18ヵ月学び、漢方医学も勉強した。社会の鍼治療は、陰陽思想、つまり、世界には互いに対立する2つの存在で成り立っているという考え方に基づいている。富裕があるから貧困がある。白人という概念があるから黒人が存在する。
一方に過剰、一方に欠乏がある。それは、社会の中で資源の分配がうまくいっていないから。社会という身体にハリを突き刺して、エネルギーや資源の流れを変えるのが「社会の鍼治療」だ。
この考え方には、2つの前提がある。1つは、誰もみな、望ましい状況にあれば、寛容であるということ。もう1つは、余剰があっても、それが足りないところに流れていないこと。
そこで、社会的矛盾がバッテリーになり、パフォーマティビティの原動力となる。パフォーマティビティという言葉は「パフォーマンス的」という意味で使われることがあるが、私は言語学でいう「行為遂行性」の意味で使っている。つまり、あるセンテンスを言葉で発すること自体が、そのセンテンスの表している内容の実現となる、たとえば、牧師が結婚する2人に「私は今、あなたがたを夫婦と宣言する」というような場合だ。それによって、現実に2人の関係性は変わる。ある行為によって、何かが現実に変わるとき、私はそれをパフォーマティビティと言っている。
《子どもたちによるヘアカット》は、子どもたちが大人の髪を切る権利についての芝居ではない。子どもたちが現実にその権利を持つのだ。

 

ソーシャル・スペシフィックなアート・プロジェクト

心の鍛え方

オドネル氏のプレゼンテーションより作成

「社会の鍼治療」は、社会的・社交的関係(social relations)が主要な材料だ。画家がキャンバスを材料にするように。その意味で、私たちのアートワークはサイト・スペシフィックではなく、ソーシャル・スペシフィックである。そこでの最初の問いは「誰?」である。そこには少なくとも、2人の“whos”がおり、アーティストはその1人だろう。SEAプロジェクトは、よく「一般人general public」を対象にしているというが、私たちはgeneralではなく、specificな人々を対象にしている。
そして、人と人との間に社会的な不快感、不安感(social discomfort)を意図的に作り出す。《ヘアカット》では、子どもにとっても大人にとっても、落ち着かない状況が生まれる。そういう状況から寛大な精神が育つ。
図に示したのは、肉体にしても頭脳にしても、より大きく鍛えるためにはストレスが必要で、それによる障害を乗り越えてこそ成果が得られるというシナリオだ。大きな心は、他者から受けるストレスによって鍛えられる。

 

いくつかの事例

training photo Art & Society Research Center

《子どもたちによるヘアカット》ワークショップ。東京ビューティーアート専門学校にて

《子どもたちによるヘアカット》2月26日

《子どもたちによるヘアカット》パフォーマンス。初対面の子どもと大人が対話する

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チルドレンズ・チョイス・アワード photo:Mammalian Diving Reflex

アートの観点からいうと、《子どもたちによるヘアカット》はヘアスタイリングがアートではない。美容師がヘアカットの講習をするのは、上手に切ることを教えるのではなく、切ってもいいんだ、という自信を与えるため。子どもと大人の関係性がアートだ。日本ではどうか知らないが、イギリスやアメリカ、カナダでは、子どもは見知らぬ大人と話をしてはいけないと言われる。このプロジェクトは、全く縁のない2人の間で共有される、親密で希有な時間をめぐってのパフォーマンスである。
大人の社会が子どもをどう受け入れるかについてのプロジェクトには、他に《チルドレンズ・チョイス・アワード Children’s Choice Award》がある。これは、地域のアート・フェスティバルに、子どもたちが審査員としてVIP待遇で参加し、彼らが自分たちの選択基準で選んだ作品に賞を贈るというもの。これは、子どもたちにグッド・アートを教育することが目的だと思われがちだが、それはほんの一部で、「文化イベントは子どもたちをどう受け入れるか」の問い直しがメインテーマだ。これと同様の考え方で行っているのが《イート・ザ・ストリート Eat the Street》である。子ど

イート・ザ・ストリート photo by Lisa Kannakko

イート・ザ・ストリート photo by Lisa Kannakko

もたちが大人のオーディエンスと一緒に地域のレストランで食事をし、自分たちの価値観で評価を下す。このイベントも、様々な経済的、文化的バックグラウンドを持つ子どもたちにテーブルマナーやレストランでの振る舞い方を教育するためかと誤解されがちだが、そうではなく、子どもたちを大人の場に介入させることが目的だ。子どもたちだけでなく、MDRはシニアに注目したプロジェクトも行っている。《私が経験した全てのセックス All the Sex I’ve Ever Had》は、地域のシニア6人にこれまでのセックス体験を4時間にわたってインタビューし、計24時間の録音を90分の脚本に書き起こす。そして、6人がパフォーマーとして登場するステージ・ショーを一般公開する。このショーがユニークなのは、パフォーマーが観客に対して、自分の経験に基づいた質問をすることができること。たとえば「屋外でセックスする人は手を上げて」という軽い問いから始まって、質問はだんだんハードになり、会場で議論が展開する。もちろん、ここで語られた情報は会場の外には出さないことを観客にもプレスにも制約してもらっている。

私が経験した全てのセックス photo by Lucia Eggenhoffer

私が経験した全てのセックス photo by Lucia Eggenhoffer

 

若者とのコラボレーション

MDRは、トロントのパークデイル・パブリックスクールの子どもたちと継続的な取り組みをしてきた。2006年の《子どもたちによるヘアカット》から始まって、2009年《イート・ザ・ストリート》と続き、2010年、その1人の14歳の男の子が「次は何をするのか」と尋ねてきた。これをっかけに、地元のティーンエイジャーたちが「トロントニアンズ」というグループを結成、MDRとのコラボレーション・プロジェクト「ヤング・ママルズ Young Mammals」に発展した。
我々は若者たちの関心事を吸い上げ、彼らが持ち込んだコンテンツに、(アートとしての)形式を提供する。そうして生まれたプロジェクトの代表例が《ティーンエイジャーとの夜の徘徊 Nightwalks with Teenagers》だ。10代の若者とコミュニティの大人が、夜中に一緒に散歩するという企画で、現在は世界各地をツアーするまでになっている。どの地域で行うときも、少なくとも2人のトロントの若者が参加している。
我々は、若者たちとのコラボレーションにMDRの活動の将来への継承を期待している。そこでのキーコンセプトは、「Succession(継承)」「Collegiality(同僚意識)」「Social Capital(ソーシャル・キャピタルの共有)」「Love and Friendship(愛と友情)」、そして「Performativity(行為による実現)」である。

文:秋葉美知子

Mammalian Diving Reflex  website

Mammalian Diving Reflex  Facebook

 

SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第4回実施報告

2016年06月23日

【テーマ】    1960年代:反芸術

【プレゼンター】 工藤安代(A&S)、嘉藤笑子(NICA)

【日 時】    2016年5月20日(金)18:30-20:30

【会 場】    アーツ千代田3331 B1階 104室 (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )

【内 容】

1960年代におけるネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ゼロ次元、ハイレッド・センターらを中心に、読売アンデパンダン展の終了と同時期に発生した芸術運動に注目しながら、その中から現代のSEAにつながる要素を議論した。中でもハイレッド・センターの活動が芸術性と社会性を併せ持つとして取り上げられた。

《キーワード》

  • ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ
  • ゼロ次元
  • ハイレッド・センター
  • 反芸術論争
  • 直接行動
  • 読売アンデパンダン展

第4回SEAヒストリー研究会に参加して

反芸術のソーシャル・チェンジ

高嶋直人(アート&ソサイエティ研究センターインターン、ファーレ倶楽部会員)

DSCN5641第4回SEAヒストリー研究会は、第1回、第2回に引き続いて1960年代の美術史的観点から、現代のSEAにつながる歴史的要素を探すことを目的とした。議論は、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ゼロ次元、ハイレッド・センターらを中心とした当時の美術運動や、それらの作品が、東京都美術館の読売アンデパンダン展が終了した時代背景のもとで、いかに美術表現の領域を拡張したかに着目した。日本の現代社会においてソーシャル・チェンジを目指すSEAの在り方を模索するために、1960年代に美術館から離れて新たに表現の場を求めていったアーティストの行為と作品を検証することは有意義である。彼らはその状況で社会問題と自身の活動をどのように関連付けていたのだろうか。

つまり今回の研究会は、美術の伝統的価値を覆して「反芸術」と呼ばれた上記のグループ、また読売アンデパンダン展終了後に発生した前衛グループらがそれぞれ選んだ表現方法を改めて比較し、個々に展開した表現手段の中に社会的な問題意識を探り出す意図があった。また、東野芳明と宮川淳の反芸術論争をはじめ、読売アンデパンダン展に対する瀧口修造のコメントや、ハイレッド・センターに対する山田諭の批評などのように、具体的に美術の領域や美術と社会との関係性に言及した評論家の発言にも注視した。さらに、モデレーターが3つのグループの活動を写真図版とともにそれぞれの評論と照らし合わせながら紹介し、後半には時代背景として重要な読売アンデパンダン展の終了に議論の焦点を当てた。

使用した資料の中でも、名古屋市美術館学芸員を務める山田諭の評論「ハイレッド・センターを歴史化する」(『美術フォーラム21』)は、日本におけるSEAを考える上で参考になった。山田は、「直接行動」という言語を暴力的な抗議手段の意味を持つ政治用語と認識した上で、ハイレッド・センターの活動を芸術的な側面と社会的な側面を併せ持つ芸術的な直接行動と捉えた。

前回の研究会で指摘された、現行のSEAの3つの特徴(①ソーシャル・チェンジを志向していること、②アートと認められる表現活動であること、③ソーシャル・インタラクションがあること)と彼らの直接行動を照らしわせれば、重要な時代背景である読売アンデパンダン展の終了を含めて、十分に国内固有のSEAの歴史的萌芽だと解釈できるのではないか。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之がハイレッド・センターを結成したのは1963年であり、グループとしては読売アンデパンダン展最終回に出品した。既に1960年の同展において「陳列作品規格基準要項」(不快音、異臭、刃物など、観客や美術館に対し何らかの危険性を備え持つ作品を禁止する6項目)が発表されており、彼らの出品作品が反芸術なものとして「美術展」という枠を超え、結果として同展の終了を加速させた。

美術館の限界を超克し、さらに作品の価値を日常の中に転化させたハイレッド・センターの芸術的側面については割愛するが、山田が合わせて述べる社会的側面の内容は①ソーシャル・チェンジの志向と言い換えることが可能である。山田は彼らの直接行動における社会的側面の背景に、60年安保闘争の終焉から、国民所得倍増計画によって市民の意識が高度経済成長の潮流に飲み込まれ、日々の生活に埋没していった事実があると指摘する。つまり、巨大な資本主義社会の到来によって、経済活動という日常の中に埋没していく人々にハイレッド・センターは働きかけをしたと述べている。その代表的な事例が《首都圏清掃整理促進運動》だろう。彼らは公共空間を自分の部屋のように清掃する行為によってその微妙な違和感を鑑賞者に体感させ、平穏な日常の中で非日常的な何かを呼び起こす狙いがあった。市民による経済活動がごく一般的な現代においてはソーシャル・チェンジに不適切なテーマであるかもしれないが、60年安保という政治的エネルギーからの急転換を強いられた当時の青年層の中には、不安に駆りたてられた人たちも多数存在したと推測できる。ハイレッド・センターの直接行動は廃品、日用品を使用することにより美術館の規制を超克しただけではなく、日常性に溢れた高松の「紐」や赤瀬川の「紙幣」、中西の「洗濯挟」がそのような市民に対し社会的な問題意識を投げかけることに挑んだ。

以上のことから、ハイレッド・センターが日常という表現の場の中に社会的な問題意識を感じていたことは間違いないだろう。これらの具体的な事例がSEAそのものであったかと再度問われれば、上記③ソーシャル・インタラクションとしての要素が希薄である。しかし、これはハイレッド・センターがその直接行動によって公共空間に違和感や不審感を生むことを重視していたために、直接的に人々との関係を作ったり、日常的な交流をしたりしなかったと推測できる。その違和感や不審感とは、国民所得倍増計画を始まりとした急激で意図的な社会の転換にさえも、人々が埋没し得る社会問題に欠かせないと判断した故の実験的手法だったのだ。

《疑問点・問題提起》

  • 読売アンデパンダン展のような展示は現代において必要か。(その場合どこで何を展示するか)
  • 現代で読売アンデパンダン展のような展示は難しいのではないか。集客には共感を前に出さなければいけない風潮がある。
  • 読売アンデパンダン展はなぜ若手作家の公募を15回も続けられたのか。→ 読売グループとして、球団の活躍と広告の充実のためか。
  • ハイレッド・センターの直接行動は社会にエンゲイジしたと言えるか。

SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第3回実施報告

2016年05月13日

【テーマ】    1960年代、世界と日本の社会運動と文化状況

【プレゼンター】 秋葉美知子(アート&ソサイエティ研究センター主席研究員)

【日 時】    2016年4月22日(金)18:30-20:30

【会 場】    アーツ千代田3331 1階 ラウンジ (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )

【内 容】

世界的に歴史的転換期として知られる1968年を中心に、国内外の社会運動と文化状況の関係性を考察した。特に、パリ五月革命とベ平連に注目し、それらの市民主体で行われた社会運動の中に創造的表現が見い出せることを、図版やスライドを用いて紹介。今回は美術史から社会に対する視点を探るのではなく社会運動にどのような表現方法が用いられたかに注目して、SEAにつながる要素を考察した。

《キーワード》

  • パリ五月革命
  • ベトナム戦争
  • ベ平連
  • フォークゲリラ

 

第3回SEAヒストリー研究会に参加して

ソーシャル・インタラクションとしてのポエトリー(詩)

高嶋直人(アート&ソサイエティ研究センターインターン、ファーレ倶楽部会員)

第3回SEAヒストリー研究会は、国内外で同時的に重要な社会運動が起きた1960年代、特に1968年を中心にそれらの運動を考察し、用いられた創造的表現に焦点が当てられた。なかでも同年のパリ五月革命時に街中の壁に現れたポスターやメッセージなど、市民による分野横断的な表現手段を観察することは、当時の学生や労働者がどのようにアート的な表現を取り入れた抗議活動を行ったかが推察できるものだった。さらには、それと類似性のある市民運動として1965年に日本で発足した反戦団体「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を取り上げ、社会運動に伴ったソーシャリー・エンゲイジド・アートの歴史が欧米に限らず国内にも存在する可能性を示した。

前回、前々回の研究会では、美術史の観点から作品や作家がどのように社会と向き合ってきたかを考察してきたが、今回は市民主導の社会運動がいかにアート的な表現を用いて人々にアピールしたかに注目した。今回は冒頭にモデレーターが世界的な潮流となっているSEAの特徴を、①「ソーシャル・チェンジを志向していること」、②「アートと認められる表現活動であること」、③「ソーシャル・インタラクションがあること」と3点に集約したが、今回のテーマは③に大きく関係するものだと感じた。SEAでは、社会的な問題に対しアーティストと参加者双方が問題意識を共有している。市民主導の運動からアート的な表現を抽出することは、アーティストと運動参加者の協働によって、どのように共感を得る表現手段を生みだせるか、という点で大いに国内のSEAの可能性を掘り起こし得ると考える。

研究会では、図版のスライドショーと配布資料によって、五月革命やベ平連を中心とした国内外のプロテスト表現の様子が参加者に共有された。両運動には直接的な関係は無いものの、パリ五月革命の発端とされる学生を主体としたド・ゴール政権下の教育政策への抗議が、ベトナム戦争反対へと拡大した経緯は存在する。さらに、ベ平連も国内における60年安保に反対していた「声なき声の会」を母体とし、米軍の北爆開始を機に結成された点においては、両者が冷戦時代に生まれた代表的な大衆発の運動として共通していることが分かる。

両者の成立背景の共通点をあげたところで、運動に対するアートの役割、活動としての共通点をまとめる。パリ五月革命は街中の壁に出現した手書きによるスローガンとポスターデザインがとりあげられた。工場やスパナなどの、労働を想起させるイラストや短い言葉を用いてシンプルにデザインされたポスターは運動を先導した大学生が占拠した美術学校を拠点に、一日当たり数千枚のシルクスクリーンによる印刷で作られた。ここで注目すべきことは、壁の落書きやポスターに、学生にとっての教育制度、労働者にとっての労働環境に対する具体的な要求が書かれたわけではなく、「想像力が権力を奪う」「敷石の下にある、それは砂浜・・・」というような詩的な言葉が用いられたことである。これは第二次世界大戦後にルーマニアの詩人イジドール・イズーがパリで提唱したレトリスムの影響を受けたものと言われ、独自の社会変革理論を伴った前衛的な言語の使われ方が見られるものである。レトリスムによる言語が新たな伝達手段、また前衛的な方法論として確立していたことが当時の若い学生に浸透していたと十分に推察できる。

一方国内のベ平連における表現活動については、岡本太郎や粟津潔といった日本を代表するアーティストやデザイナーの参加が特徴付けられた。ベ平連の事務局長吉川勇一に関する資料によれば、銀座東急ホテルにて行われた相談会の中で、メンバーであった評論家の鶴見俊輔がワシントンポスト紙に出す意見広告のコピー「殺すな」の題字デザインに岡本太郎を抜擢したという。グラフィックデザイナーの粟津潔や美術家の横尾忠則らも、ベ平連が発刊した「週刊アンポ」の表紙デザインを担当している。デザインという点では、ベ平連とは別に全国で激化した学生闘争の中で簡体字を使った独特の角張った書体「ゲバ文字」という独特のカリグラフィー文化が生まれたことを現代の社会学者小熊英二が振り返っているが、歌(フォークソング)も、ベ平連のもうひとつの表現手段であった。フォークゲリラと呼ばれた反戦集会に参加していた大木晴子のインタビューでは、ゲバ文字を用いていた新左翼という過激な活動家がいたことに対し、ベ平連はフォークソングと花束を用いた非暴力のゲリラ運動をしていた庶民的な団体だったことが強調されていた。

私は五月革命の詩的なスローガンと、ベ平連のフォークソングの活用に不明確ではあるが共通項を感じる。戦争や権力、社会制度に対して怒りをおぼえる青年層にとって、詩にのせたメッセージの表現の中に自由や生命に対する希望が重なっていたのではないだろうか。つまりは、詩的な表現を含む活動はソーシャリー・エンゲイジド・アートに欠かせないソーシャル・インタラクションの要素として市民の共感と結びつくのだと思う。現代におけるSEAという活動は、アーティストの存在が重要な役割を果たすだけでなく、社会的なことに対する市民の問題意識が主体的に伴うものとされる。今回の研究会でクローズアップされた国内外の社会運動の事例から、アーティストと市民の主体性を繋ぐものとして、詩という表現手段が国内におけるSEAの実現へ手がかりになる可能性があると感じた。

 

《疑問点・問題提起》

  • 五月革命の外壁のスローガンなど市民による創造的表現は、アーティストへ具体的な影響を与えたのか。
  • 美術表現の制度化を批判した日本の美共闘のようなグループはソーシャル・チェンジを試みたと言えるか。

SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第2回実施報告

2016年04月14日

【テーマ】    マッピング(後半): 1950年代の日本美術の動向を中心に 〜実験工房、具体美術協会、九州派における、SEAに繋がる要素をマッピングする〜

【プレゼンター】 清水裕子(アート&ソサイエティ研究センター副代表)

【日 時】    2016年3月24日(木)18:30-20:30

【会 場】    アーツ千代田3331 B1階 105室 (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )

【内 容】

1950年代の時代背景やこの時代に関する中心的な美術評論(千葉成夫、黒ダライ児)を確認した上で、当時の3つの代表的な国内美術の動向と社会との関係性を考察した。西洋の動向からの影響関係と日本固有の展開を通じて新たな表現方法を模索する中で、作品の表現形態、発表の手法、素材選択については個々に集団的理念や地域性が反映されていることに注目した。

《キーワード》

  • 実験工房
  • 具体美術協会
  • 九州派
  • 労働組合
  • 素材

《疑問点・問題提起》

  • いわゆるエリート集団(実験工房、具体美術協会)と地方でおこった反芸術的集団(九州派)のように、芸術家同士においても社会的、経済的格差があったとされるが、作品の受け手にはどんな社会層が多かったのか。
  • いわゆるエリート層の芸術家は自身の表現のうちに社会的問題意識を含まない傾向があるのか。
  • 中央への反発意識を持った芸術運動が起こったのは九州だけだったのか。
  • 第9回頃から読売アンデパンダン展が急進したとされるのは、この年に結成された九州派が影響していたのか。

 

第2回SEAヒストリー研究会に参加して

高嶋直人(アート&ソサイエティ研究センターインターン、ファーレ倶楽部会員)

国内におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの萌芽をたどるSEAヒストリー研究会の第2回。今回は1950年代の中心的な美術の動向である実験工房、具体美術協会、九州派の位置付けをテーマとし、同時代的に生まれた各動向の特徴の比較によって、作品の表現形態、発表の手法、素材選択、拠点にしている地域性に関するキーワードから、海外交流が拡大したこの時代の日本における美術表現の特性を考察した。

前回のレポートで述べたように、私はこの研究会によって美術と社会状況の直接的な関係性の歴史を読み解き、今日の日本でソーシャリー・エンゲイジド・アートの実現によって美術と市民との間に新たな関係性が生まれることを望んでいる。近代以降日本の作品展示の場が屋外へと広がってきたが、第ニ次世界大戦中の金属供出やGHQ占領下の軍国主義的な彫刻の撤去、または大気汚染による彫刻のダメージなどを原因とし、設置されたうちの多くの屋外彫刻が撤去され作品に対する市民の関わり方と価値判断の重要性は浮き彫りになってきた。しかし、市民の中には地域の歴史背景を守り親しむという目的をもってアートを媒体とした活動を行っているグループが存在するものの、ボランティアとして軽視され、その活動の意義が認知されていない現状がある。ソーシャリー・エンゲイジド・アートの潮流は、地域社会の中に存在するアートの価値について自ら考え関わっていく市民をもう一度掘り起こし得ると期待している。

今回の議論では、3つの動向の特徴について、中央と地方、エリートと非エリート的な集団的特徴、国内と欧米などから対比されたが、作品に直接関わるメディアや素材については三者三様だった。芸術ジャンルを横断したインターメディアを追求した実験工房(拠点は東京)、関西を拠点に、従来素材にならなかった物質そのものによる作品や制作プロセスの重視、公共空間でのパフォーマンスを行った具体美術協会、労働組合を背景に労働者の生活に関連した素材を組み込んだ九州派といったように表現は個々に表れていることが明らかになった。

各動向について具体的な作品図版が資料として共有されたが、どのグループの作品を見ても表現の新しさに対する意識や素材の個性的な選択という意味では前衛であり、反芸術につながる要素を持っていたと言えるのではないだろうか。また実験工房が東京のタケミヤ画廊、具体美術協会が自ら阪神間に設立したグタイピナコテカという恵まれた発表の場を拠点として、どちらかといえば都会的な活動をしていたことに対し、九州派が炭鉱のある地方としての性質を強烈に放ちながら、東京に対して競争意識を持っていたことは、地域性とアートを考える上で興味深い。それぞれ作家たちの出生地を拠点に地域に根ざした活動をしていたことが明らかになったが、これは戦後多くの作家が東京を中心とした戦争被害を表現して注目された1940年代からの大きな変化だと感じた。(ルポルタージュ絵画の代表作家、中村宏は静岡県浜松市出身で東京都立川市、鶴岡政男は群馬県高崎市出身で東京都上野駅周辺をそれぞれ絵画の主題にしていた)

非共通点としては、実験工房は海外の美術潮流の実践をテーマとしたこと、具体美術協会はこれまでにないオリジナリティを求め制作プロセスを重視したこと、九州派は中央と地方を対立軸にした政治的なモチベーションがあったことが挙げられる。このように同時代の美術動向であっても、その活動理念、求める表現形態、素材の選択によって相違が生まれる。特に制作や発表の場としての地域性や社会性がアートに及ぼす影響は大きく、地域の個性を放って前衛的であった九州派のように、それはこれから生まれてくる日本のソーシャリー・エンゲイジド・アートのヒントになり得ると感じる。

1940年代後半から国内で広がった戦後社会派リアリズムの潮流をとりあげていた「日本アンデパンダン展」、「読売アンデパンダン展」も、H・ルソーらを輩出したフランスの「サロン・デ・アンデパンダン」を倣っていたことは前回の議論にあった。同時代的に各地で生まれた今回の3種の動向だが、第二次世界大戦の後から海外文化の流入が広がった中で、戦後社会派リアリズムの重いテーマを払拭し、新たな方向性を模索していたのかと推察できる。

今回の研究会では、国内の1950年代の前衛美術が第二次世界大戦直後の戦後社会派リアリズムにあったような社会問題を主題にとりあげることから解放され、戦後の復興へと向かう時代背景の中で自由な独自の集団理念に基づいて作品表現をしていたことが分かった。その中でも50年代後期に生まれた九州派は社会問題について意識的な集団であり、特に地方と中央を対立軸にした問題提起をおこない、作品に地域性を象徴する素材を組み込む方法で美術の伝統を破壊しようとする反芸術へと展開を見せたことは、ソーシャリー・エンゲイジド・アートの萌芽を考える上で重要と言える。

SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く 第1回実施報告

2016年03月08日

【テーマ】  マッピング(前半)戦後日本の美術運動・美術団体をたどる(1940~50年代)

【プレゼンター】  工藤安代(アート&ソサイエティ研究センター代表)

【日 時】  2016年2月26日(金)18:30-20:30

【会 場】  アーツ千代田3331 2階 会議室 (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )

【内 容】

1946年から1950年代までの日本における美術運動/美術団体を時系列でたどり、戦後の日本美術が社会状況とどのように関係していたかを考察。今回は特に、アンデパンダン展について、その成り立ちや内容が議論の中心となり、いくつかの課題を次回に持ち越した。

《キーワード》

  • 日本アンデパンダン展
  • 前衛美術会
  • 職美協(全日本職場美術協議会)
  • 読売アンデパンダン展

《疑問点・問題提起》

  • 日本アンデパンダン展と読売アンデパンダン展は内容にどのような違いがあったか。
  • 読売アンデパンダン展は、具体的にはどのようにフランスの「サロン・デ・アンデパンダン」を倣ったのか。
  • (読売)新聞社がアンデパンダン展を主催した背景とは何か。
  • 戦後、国内の作家はどのような手段で海外の動向から影響を受けたのか。
  • 前衛美術会が異議を唱えたという社会主義的リアリズムとは何か。同様に新しく目指したシュルレアリスムとは何か。
  • 国内のSEAの萌芽を探るためには、戦後の動向からスタートするのは不適切ではないか。

 

第1回SEAヒストリー研究会に参加して 

高嶋直人

私はこの研究会に、アート&ソサイエティ研究センターのインターンとして資料準備の業務を兼ねて参加している。第1回目の今回は、1946年〜50年代における「美術」や「社会」の変化をマッピングするなか、さまざまな立場で美術と関係を持つ参加者の間で、当時の動向についての意見や疑問が活発に交換された。

そもそもSEAとはソーシャリー・エンゲイジド・アート(Socially Engaged Art)の略語で、何らかの前向きな社会変革を目指すアート活動/表現を意味し、現在世界的な潮流となっている。ただし、この動きを牽引している欧米でもまだ一般的な定義付けはされておらず、日本の状況を考えるとき、まずは社会と美術の関係性の歴史を整理することから始めなければならないということがこの研究会の背景にある。率直に言えば、私はこの潮流が美術と市民のあいだに何か新しい関係性を作り出してくれるのではないかと期待している。

現在、まちの具体的な歴史を背景にアートを媒介として活動を行う市民は存在するが、多くの場合がボランティアというあいまいな存在に甘んじている現状がある。例えば、私が所属している立川市のボランティア団体ファーレ倶楽部は、米軍基地跡地の再開発によって誕生した複合型都市空間「ファーレ立川」に設置されたパブリックアートを、基地問題(砂川闘争)等の歴史を背景に市民が主体となって守り、多くの人に知ってもらう活動を続けている。ボランティアとして軽視されがちだが、このような地域や歴史に根付いたアートと結びついた市民活動が、国内におけるSEAのヒントになると考えている。

この研究会で社会と美術の関係性の歴史を読み解くという行為は、ファーレ立川における砂川闘争のように、アートを通じた市民活動のモチベーションになりうる事象を丁寧にひたすら掘り起こしていく側面がある。その掘り起こしの結果として、市民の生活を左右するさまざまな社会問題や地域課題が明らかになり、前向きな社会変革へのモチベーションが高まることで、現代における日本のSEAの展開につながってほしい。

研究会の内容に戻れば、第1回のキーワードとして「日本アンデパンダン展」「前衛美術会」「職美協」「読売アンデパンダン展」などが取り上げられた。第15回読売アンデパンダン展について言えば、日比谷公園会場における作品の締め出しについてや、新聞社の展覧会主催背景など、参加者各々の知識を共有し、それらのキーワードについて理解を深められた内容だった。

「日本アンデパンダン展」や「読売アンデパンダン展」は、反芸術やハイレッド・センターといった60年代の前衛的な動向に影響を及ぼしたものとしても取り上げられる。戦後社会の芸術表現については第二次世界大戦直後のGHQによる抑圧的な文化政策などの反動が社会背景にあるとされているが、その背景と美術の表現はともに変化していった。具体的に言えば1949年の「日本アンデパンダン展」に出品され、戦後の国民の心情をうずくまる人物像にして描いた鶴岡政男の《重い手》をはじめとする戦後の閉塞感や絶望感を描く作品は、50年代には、社会に起きた歴史的事件を記録的に描くルポルタージュ絵画として継承されていく。当時の山梨県曙村で起きた地主と農民との争いを描いた1953年の山下菊二の《あけぼの村物語》が代表である。戦後当時は現代で浸透しているような作家が市民とともに作品を表現していくという潮流はなく、ルポルタージュ絵画への変化は、戦後社会の閉塞感のようなイメージの表現から、社会的事実の記録という形で美術と大衆との距離を縮めることが考え出されたものであり、現代における市民参加型アートの先駆けだったのではないか。

今回のマッピングによってわずか5年のうちで二つの作品の間に社会的主題の変化があったことがわかった。次回のSEAヒストリー研究会では引き続き1950年代後半のマッピングが行われるが、当時は朝日新聞社主催の「世界・今日の美術」展の開催やM・タピエ、J・マチウの来日などによる海外からの情報輸入が盛んであった。その中で以上のような社会的主題を対象にしてきた作家の制作意欲はなんらかの変化があったのだろうか。社会状況と美術表現の変遷をどちらかに偏ることなく考察していきたい。

SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く

2016年02月11日

昨年に引き続き、ソーシャリー・エンゲイジド・アートをより広く、深く学び、議論する場として、今年度も研究会を開催します。これまでは、海外のSEAを中心に考察、議論をしてきましたが、今年は、戦後の日本の美術の動向や社会状況の変化から国内におけるSEAの萌芽と展開を掘り起こし、読み解くことを目的として「SEAヒストリー研究会~日本におけるSEAを読み解く」を開催します。各回、プレゼンターがそれぞれ異なる視点からアプローチし、その内容をこのページで報告していく予定です。

《開催スケジュール》第3回以降は決定次第、お知らせします。

第1回 「マッピング」 ※終了しました。

プレゼンター:工藤安代(アート&ソサイエティ研究センター代表)

日 時   :2016年2/26(金)18:30 ~ 20:30

会 場   :アーツ千代田3331 (東京都千代田区外神田6丁目11-14 )2階 会議室

定 員   : 10名(先着順)

参加費   : 500円(資料込み・コーヒー付)

 

第2回 「マッピング(後半):1950年代の日本美術の動向を中心に」

プレゼンター:清水裕子(アート&ソサイエティ研究センター副代表)

日 時   :2016年3/24(木)18:30 ~ 20:30

会 場   :アーツ千代田3331 2階 会議室

定 員   : 10名(先着順)

参加費   :500円(資料込み・コーヒー付)

 

お申し込み・お問い合わせ

メールに、氏名、住所、職業(所属)、申込み動機を記入のうえ、下記宛先までご送信ください。

email: info@art-society.com

『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』を読む研究会シリーズを開催しました

2016年02月11日

地域や社会に深く関わり、実際に社会の変革をめざすSEA(ソーシャリー・エンゲイジド・アート)とはなにか?

アートと社会の諸問題に対して、理論と実例の両面から、多くのヒントを与えてくれるパブロ・エルゲラの『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門(以下、パブロ本と呼びます)』をテキストとして、社会に深く関わるアートの潮流を読み解くSEA研究会を2015年に開催しました。

全6回シリーズによるゼミ形式で、SEAというアートのあり方を理論と事例を通じて学んでいきました。

 

開催記録(2015年)

第1回 5/8(金)
米国におけるSEAの歴史とパブロ本の背景

第2回 6/26(金)
パブロ本を読む①「イントロダクション」、「第1章 定義」

第3回 7/16(木)
パブロ本を読む②「第2章 コミュニティ」

第4回 8/21(金)
パブロ本を読む③「第3章 状況」、「第4章 会話」

第5回 9/24(木)
パブロ本を読む④「第5章 コラボレーション」、「第6章 敵対関係」

第6回 10/29(木)
パブロ本を読む⑤「第7章 パフォーマンス」、「第8章 ドキュメンテーション」、「第9章 超教育学という視点」、「第10章 熟練の解体と再構築」

 

 

ソーシャリー・エンゲイジド・アート

第1回目はオリエンテーションとレクチャー形式で開催。パブロ本を持つSEAリサーチラボ実行委員で翻訳者の秋葉美知子と本研究会の趣旨を説明する工藤安代

 

ソーシャリー・エンゲイジド・アート

米国におけるSEAの歴史について語る秋葉美知子

 

ソーシャリー・エンゲイジド・アート

毎回受講生が担当する章のサマリーを発表し、議論を深めていくゼミ形式で研究会は進行した

ソーシャリー・エンゲイジド・アート

発表者や受講生の発言を促し、討論を活発化させるために各回毎にSEAリサーチラボ実行委員でパブロ本翻訳者の3名が交代でモデレーターを勤めた。第5回は清水裕子