SEAラボブログ

社会正義とアート

2016年04月28日

差別、貧困・格差、暴力や抑圧がなくならない現実世界。アートを触媒に社会正義(social justice)を前進させようとするアーティストが世界各地で活動している。

ニューヨークのマンハッタンにあるニュースクール大学のヴェラ・リスト芸術・政治学センターは、2012年に「Vera List Center Prize for Art and Politics」を創設し、社会正義の前進にコミットするアーティストを世界的視野で選び、2年に一度賞を贈っている(15,000ドルの賞金とプロジェクト支援を含む)。2012年の第1回は、シカゴでドーチェスター・プロジェクトを展開しているシアスター・ゲイツ、2014年の第2回は、シリアを拠点に活動する独学で匿名の映像アーティスト集団アブナダラ(Abounaddara)が選ばれた。アブナダラは、2011年からシリアの一般の人々のありのままの姿をとらえる短編ドキュメンタリー映像を自力で制作し、週に1回のペースで動画共有サイトに投稿。非常事態にあるシリアをオルタナティブなイメージで伝えている。

社会正義とアートをテーマとする書籍の出版も相次いでいる。最近出版された3冊、ヴェラ・リスト・センターが第1回の授賞と連動して出版した『Entry Points:The Vera List Center Field Guide on Art and Social Justice No. 1』、ポスト・オキュパイ・プロジェクトのオーガナイザーの一人でもあるイェーツ・マッキー著『Strike Art:Contemporary Art and the Post-Occupy Condition』、SEAに特化した支援を行っているNPO「ア・ブレイド・オブ・グラス」がその助成プログラムと連動して出版した『Future Imperfect』を素材に、4月24日(日)、ブルックリンのスマック・メロン・ギャラリーで、著者や編者によるパネル・ディスカッションが行われた。Facebookにアップされた記録画像を見ると、ゲストのトークの後、参加者がテーマ別のグループに分かれて討論を行ったようだ。

practice- dissemination -dicussion―ソーシャル・チェンジには、こういったサイクルが重要なのだと思う。

(秋葉美知子)

BPのテート美術館へのスポンサーシップ終了が意味するのは?

2016年04月07日

先月、国際石油資本BPが、26年にわたるテート美術館への資金援助を今年限りで打ち切ることを発表したが、その背景には、アーティスト集団「Liberate Tate(テートを解放せよ)」による6年間のキャンペーンがあった。Liberate Tateは、2010年にテートが行った「アートとアクティビズム」のワークショップを契機に結成され、テート・モダンやテート・ブリテンを舞台に、BPとテートの蜜月を断ち切るために、カルチャー・ジャミング的抗議パフォーマンスを繰り返してきた。

Liberate Tateのウェブサイトより

Liberate Tateのウェブサイトより構成

BPのテート支援20周年を記念するパーティ会場のエントランスで、黒装束のメンバーがBPのシンボルマークをあしらった黒い缶から原油のような液体をぶちまける《Licence To Spill》(2010)、テート・ブリテンの床に裸になったメンバーが横たわり、そこに他のメンバーが黒い液体(ひまわり油に木炭を混ぜたもの)を注ぎかける《Human Cost》(2011)、テート・モダンへの寄贈として、風力発電タービンの巨大な翼をタービンホール運び入れる《The Gift》(2012)、テート・ブリテンの1840年代ギャラリーで、メンバー同士が自分の生まれた年の大気中の二酸化炭素濃度(ppm)数値を入れ墨する《Birthmark》(2015)など、彼らのパフォーマンスの特徴は、実に現代アート的というか、“テート美学”を借用していて、美術館の常連にとっては、それがプロテスト行為なのかテートのプログラムなのか、一見して見分けがつかないことにある。
Hyperallergicのインタビュー記事では、 Liberate Tateの長年のメンバーが彼らの戦略を語っていて面白い。自分たちはテート自体に抗議しているのではない、テートを守るために、BPとの結びつきを“フレンドリーに批判する”役割を演じてきたのだという。

“we’re always inside and outside. We’re not so far out that we can be ignored, but we’re not so far inside that we have no leverage — we’re in this powerful limbo.”

もちろん、BPはこの決定について、Liberate Tateのパフォーマンスや厳しい世論とは関係なく、ビジネス環境の変化による支出削減を理由としているが、Liberate Tateのウェブサイトは、“Liberate Tate wins six year campaign to end BP sponsorship of Tate”と、勝利宣言をしている。
そんな折り、BPは34年続けてきたエディンバラ国際フェスティバルへの資金援助もやめたという(the guardian 4/6)。ほかにもBPは大英博物館やロイヤル・オペラハウスなど英国の主要な芸術文化施設のスポンサーであり、テートとエディンバラを引き金に芸術文化支援からの全面撤退に進むのかどうか注目されている。
芸術文化への公的補助金の削減とファンドレイジングをめぐるプレッシャー…経済と倫理のせめぎ合いは世界共通の問題だ。

(秋葉美知子)

ブルックリン美術館「Agitprop!」展、最終ラウンドのアーティスト

2016年03月12日

現在ブルックリン美術館で開催中の「Agitprop!」展は、会期中3段階で展示が増殖していくと2月13日付の投稿で紹介したが、4月6日から最後の第3ラウンドが始まる。第2ラウンドのアーティストがノミネートした15アーティストが新たに加わって最終のディスプレイになるわけだ。第1ラウンドから誰が誰をノミネートしたのか、表にまとめてみた(左のアーティストが右のアーティストを指名)。第3ラウンドともなると、ほとんど知らない名前ばかり。今後これらのアーティストのプロジェクトを調査して、できる限り紹介していきたいと思う。

ブルックリン美術館プレスリリースより作成。 第3ラウンドのアーティストの出身国はリリースに記載がなかった。

ブルックリン美術館のプレスリリースより作成。
第3ラウンドのアーティストの出身国はリリースに記載がなかった。

(秋葉美知子)

長崎市公会堂の存続を願う、We Love Kokaidoパフォーマンス

2016年02月25日

2月21日(日)、長崎市公会堂前の広場で、「WE LOVE KOKAIDO」の文字をプリントしたターコイズブルーのTシャツを着た踊り手たちによる、ダンス・パフォーマンスが行われた。これは、昨年3月末に閉鎖され、市が解体方針を示している公会堂の廃止に反対し、保存・活用を求める運動を展開している「公会堂を存続させる会」の有志による発案で実施されたイベント。これまで公会堂を公演・発表の場としてきた市内のダンスやバレエ、日本舞踊などの団体から約200人が参加した。

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市の計画は、老朽化や耐震性に問題のあるこの建物を解体して、別の場所に新たな文化施設を建設し、跡地を新市庁舎建設用地にするというもの。古くなった公共施設のスクラップ&ビルドと、それへの反対運動は全国各地で起こっているが、長崎市公会堂の場合は、とりわけ市の戦後の歴史とアイデンティティに深く関わる事案だけに、昨年、存続を求める7万人分の署名が市長宛に届けられたという。

公会堂建設の経緯はこうだ。長崎では、被爆復興を目的とした長崎国際文化都市建設法(1949年公布)に基づき、被爆10周年を迎えた1955年、長崎市に、県立図書館・美術館・体育館・水族館・公会堂などの文化施設を順次建設していく「長崎国際文化センター」構想がスタートした。当時の県・市・商工会議所・大学・労働団体等が一体となって取り組み、地域を越えた共感も得て、総事業費約9億円のうち、3割を超える約3億3000万円が国内外からの寄付金でまかなわれたという。長崎市公会堂はその中核をなす施設として、長崎出身の建築家で戦後モダニズム建築をリードした武基雄が設計し、1962年に竣工した。その建築史における価値は高く評価されており、近代建築の記録と保存を目的とする国際的な学術組織DOCOMOMO(本部・パリ)の日本支部は、これを日本の近代建築100選のひとつに選び、長崎市に保存・再生を要望している。

長崎公会堂

国際文化センター事業で建設された施設の中で、当時のかたちで現存しているのは長崎市公会堂と県立図書館のみ。図書館も老朽化や収蔵スペースの不足などで、立て替え・移転計画が進んでいる。つまり、公会堂は、長崎の戦後復興のシンボルとしての最後の砦であるとともに、歴史的価値のある近代建築として、市のアイデンティティを構築する一要素になっている。

署名、陳情、集会、シンポジウムなどは市民運動の常套手段だ。しかし、今回のダンス・イベントは、「声高に存続を叫ぶのではなく、クリエイティブな手段でこの運動を広く発信したかった」と、オーガナイザーの中村享一さん(長崎出身の建築家)は言う。ユニフォームのTシャツをターコイズブルーにしたのは、パワーストーンとしてのターコイズ(トルコ石)が「積極的に行動する勇気を与え、夢や目標の達成へと導いてくれる力を持つ」と言われていることにあやかったのだそうだ。そのメッセージを印刷したタグを付けてTシャツを配布した。

フラッシュモブからパブリック・プロジェクションまで、アクティビストとアーティストがコラボレートして、創造的・革新的な手段で人々の心を動かす市民運動が世界各地で起こっている。We Love Kokaidoの今後の展開を含め、日本でのチャレンジに期待し、注目していきたい。

写真提供:公会堂を存続させる会

(秋葉美知子)

ソーシャル・チェンジとアート:UCバークレーの場合

2016年02月17日
Shapero Modernのウェブサイト

Shapero Modernのウェブサイトより

ロンドンのShapero Modern(古書店が運営する近現代版画専門ギャラリー)で、America in Revolt: the Art of Protestというポスター展が開かれている。1970年5月にカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)で行われた「政治ポスター・ワークショップ」で学生たちがつくったスクリーン印刷のポスター50点を、カウンターカルチャーの歴史家、バリー・マイルズのキュレーションで紹介する展覧会だ。1970年5月というと、ニクソン大統領が米軍をカンボジアに侵攻させ、それに反対するオハイオ州ケント州立大学の学生集会で兵士が参加者に発砲する事件が起きた直後。反戦や平和への願いをストレートに表現するポスター・デザインは、パリ五月革命時(1968年)に美術学校の学生が立ち上げた民衆工房(アトリエ・ポピュレール)でつくられたポスターや、米国のカウンターカルチャー・ポスターに似たDIYスタイルで、アート作品として制作されたものではないながら、グラフィック・アートの一時代を象徴している。
Hyperallergicの紹介記事

Big Ideas 1-vert

Big Ideasのウェブサイトより

UCバークレーのソーシャル・チェンジへの取り組みは、現在どうなのだろう? と思って調べてみると、Big Ideas@Berkeleyという学生対象のコンテストを実施していることがわかった。現実の問題に取り組み、ソーシャル・チェンジをめざす学生たちの革新的なアイディアを募集し、優秀案に資金援助するというもの。「Energy & Resource Alternatives」「Food Systems」「Global Health」「Information Technology for Society」など9つのカテゴリーに分かれていて、その一つが「Art and Social Changeだ。このカテゴリーのこれまでの受賞案を見ると、内戦・難民・テロリズムなどネガティブなイメージで見られがちな中東で、ポジティブに活動する社会起業家たちをビデオで紹介するプロジェクト、インタラクティブな街灯をバークレーの街路に設置し、安全で活気のあるコミュニティ歩道をつくるプロジェクト、養子として米国で育っているロシア人の子どもたちのドキュメント映画を制作するプロジェクト(近年ロシアは米国人がロシア人の子どもを養子にすることを禁止している)などがあった。

ところで、Big Ideasのシンボルマークは紙飛行機。航空技術の進歩は紙飛行機の夢から始まったことから、紙飛行機は“創造の始まり”の象徴になっているという。ソーシャル・チェンジをめざす学生たちの初飛行を支援するという意味で、このマークがつくられたそうだ。ついAKB48の「365日の紙飛行機」を連想してしまった。

(秋葉美知子)

アクティビスト・アートのレガシーを今に繋ぐ:ブルックリン美術館「Agitprop!」展

2016年02月13日

ジェントリフィケーションが止まらないニューヨークでは、アーティストが低家賃で借りられるスタジオ・スペースが浸食され続けているという。昨年の11月、不動産業者600人以上が集まる「リアルエステート・サミット」にブルックリン美術館が会場を貸したことにアーティストたちが団結して抗議行動を起こしたというニュースを読んだ。

そのブルックリン美術館で今「Agitprop!」と題するクリエイティブ・アクティビズムに焦点を合わせた展覧会が開かれている(2015年12月11日から2016年8月7日まで)。Agitpropとはアジテーションとプロパガンダを合成した、いわゆる“アジプロ”。学生運動世代には懐かしい言葉かもしれない。

一方で、旧ソ連のプロパガンダ、米国の女性参政権運動、ティナ・モドッティのメキシコでの社会主義写真、WPAの連邦演劇プロジェクト、全米黒人地位向上協会の反リンチキャンペーンという歴史的事例、もう一方で、今日的政治問題・社会問題に取り組んできた現役アーティストのプロジェクトを関連づけながら並置する。ポリティカル・アート今昔物語といったところだが、この展覧会が話題になっているのは、そのキュレーションである。合計50人(組)以上のアーティストが紹介されるのだが、一度に全ての作品や資料を見せるのではなく、3段階で展示が増殖していくという仕掛けだ。まず最初にキュレーターが第1ラウンドのアーティストを選び、次にそのアーティストがそれぞれ別のアーティストを推薦して第2ラウンド(2月17日~)が構成される。さらに第2ラウンドのアーティストが第3ラウンドのアーティストを推薦。4月6日にようやく全貌が明らかになる。レジェンドとベテランに若手が次々加わっていくという感じだろうか。アーティストが展示内容のセレクションに参加するこの試みは、アジプロの協働精神をキュレーションに反映したものだという。

現在第2ラウンドのアーティストまで発表されていて、たとえば、第1ラウンドのココ・フスコはローリー・ジョー・レイノルズを推薦、ゲリラ・ガールズはオキュパイ・ミュージアムズを、ジェニー・ホルツァーはレディ・ピンクを、グラン・フューリーはアンドリュー・タイダー&ジェフ・グリーンスパンを、イエス・メンはNot an Alternativeを、といった具合だ。

このような増殖形展示方法のため、第1ラウンドでは会場に空きスペースが目立ち、このやり方は本当に意味があるのかという疑問も出ている。とはいえ、SEAの系譜と現在の展開を知るうえで、(完成形を)ぜひ見たい展覧会だ。

(秋葉美知子)

現地レポート:プロジェクト・ロウ・ハウス(テキサス州ヒューストン)

2016年02月11日
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「ショットガンハウス」とは、ワンルームの幅しかない細長い間取りの家で、玄関から拳銃を撃つと、裏口までまっすぐ弾が飛んでいくということからこの名がついたという。19世紀半ばから1920年代にかけてアメリカ南部で数多く建てられた住宅様式。

「プロジェクト・ロウ・ハウス(Project Row Houses)は、アーティストが主導する持続可能な地域再生モデルとして、必ずといっていいほどSEAの代表事例にあげられるプロジェクトだ。このプロジェクトが展開しているテキサス州ヒューストンは、全米で4番目に人口の多い都市である。石油産業の中心地で、NASAのジョンソン宇宙センターや世界最大級の医療センターも立地し、工業・科学技術都市のイメージが強いが、シアター・ディストリクト、ミュージアム・ディストリクトといった芸術文化施設の集積地域を持つ、文化都市の側面もある。

そのなかで、「プロジェクト・ロウ・ハウス(以下PRH)」は、異色の存在と言ってもいいだろう。

PRHは、1993年、アーティストのリック・ロウが、低所得のアフリカ系アメリカ人が多く住む、当時はヒューストンで“最悪”の住区と言われていた「第3区」で、荒廃し、取り壊される予定だった22戸のショットガンハウスをアーティスト/アクティビスト仲間の協力を得て買い取ったことから始まった。彼らはボランティアを集めてその建物を修復し、さまざまな助成金を得ながら、ギャラリー、アーティスト・イン・レジデンス、若い未婚の母のための一時的住居(Young Mothers Program)などに変えていった。この活動はその後も持続、成長し、地域のニーズに応えるさまざまなプログラムや、低家賃の賃貸住宅の提供を行っている。

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プロジェクト・ロウ・ハウス事務棟

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左から、ライアン・デニスさん、筆者、ユーリカ・キルキーさん

2015年12月、記録的暖冬のヒューストンでPRHを訪ね、エグゼクティブ・ディレクターのユーリカ・ギルキーさん、パブリック・アート・ディレクターのライアン・デニスさんに話を聞くことができた。

ユーリカさんは、2015年の春エグゼクティブ・ディレクターのポストについたばかりだ。彼女は、オバマ政権のスタッフとしてワシントンDCで仕事をしていたが、2013年に新天地を求めてLAに移り、しばらくハリウッドで働いたのち、事故で足を折ったことをきっかけに、故郷のヒューストンに戻った。そこでPRHの人材募集の話を聞き、応募したという。公共政策が専門で、アートのバックグラウンドはないが、PRHは単なるアート組織ではないので、「コミュニティで起こっていることに対応し、会話を起こしていくためには、community political engagementの知識とスキルを持つ人がいることがとても重要なのよ」とライアンさんが言う。

ライアンさんはアートのバックグラウンドの他、アフリカン・アメリカン・スタディやコミュニケーション、マーケティングも学んでいる。SEAのキュレーターには、さまざまなスキルが絶対に必要だという。

PRHにユーリカさんのような政治の世界での経験を持つ人材が必要なのは、この地域の現状にある。超高層のオフィスビルが林立するダウンタウンからも全米屈指の医療センターからも近い地理的条件から、商業施設や住宅開発業者が手を伸ばしてきている。「ジェントリフィケーションは必ずしもポジティブな意味を持つとは限りません。元から住んでいる人たちを追い出さない開発のやり方があるはずです」とユーリカさんは言う。そのためには、政治家や中小ビジネスオーナーなどとの協力関係を築かねばならない。それに加えて、「地域の発展にアートの要素は間違いなく重要です。PRHがそれを証明しています」。

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プロジェクト・ロウ・ハウス周辺

そのアート要素を担うライアン・デニスさんの肩書きは「パブリック・アート・ディレクター」。パブリック・アートというと野外彫刻を連想する人も多いが、PRHはこの言葉をどう定義しているのかを聞くと、「人々とエンゲイジするもの。人々が共有する体験や時間をめぐって会話を促すもの。インタラクティブ・エンゲイジメントを生み出すものです。公園の彫刻にも価値があると思いますが、それはしゃべらないでしょ」。PRHのパブリック・アート・プログラムには、「アーティスト・ラウンズ」「アーティスト・レジデンシー」「アーティスト・スタジオ」の3つがある。その中心は、毎年春と秋に約4ヵ月間、7人(組)のアーティストが7棟の展示スペースでインスタレーションを展開する「アーティスト・ラウンズ」で、ライアンさんがディレクターになってから、毎回テーマ設定をしてアーティストを公募しているという。筆者が訪問したときはRound 43の開催中で、そのテーマは、“Small Business/Big Change: Economic Perspectives from Artists and Artrepreneurs”。まさに、現在第3区が直面している地域経済の問題に、アートの視点から取り組んだものだ。創造的アントレプレナーやアーティストが、ショップやライブラリー、学習センターを開いたり、黒人社会の経済を題材にインスタレーション作品を展示したり、関連したイベントや講演会も行われている。

Round 43

Round43のインスタレーション

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Round43の1棟は、アフリカン・アメリカン・コミュニティに根ざした雑貨店(ベイカリー)を再現

2014年、PRHの創立者リック・ロウが、米国で“天才賞”と呼ばれる、マッカーサー財団のマッカーサー・フェローズに選ばれた。その結果、パブリシティがとても増えた。「私たちの仕事が認められたと思います。でも、私たちはまだまたコミュニティ内で、そして全国的にやるべきことがたくさんあります。この機会を利用して、勢いをつけなければなりません。マッカーサー・フェローに選ばれて地域から出てしまう人もいるようですが、リックはここにとどまって、コミュニティに献身しています。それによって、より多く、多様なリソースやサポートを得られるようになりました」と、2人は言う。他地域のコミュニティ・プロジェクトにアドバイスする機会も増えた。しかしどこでもPRHを再現できるわけではなく、条件や人々や法律などが異なるので、それぞれがチャレンジングだという。そして実際、リック・ロウに影響を受けたアーティストたちが自分たちの地元でコミュニティの文化の再生に成功する事例も現れている。最近「ニューヨークタイムズ」が、リック・ロウ、シカゴのシアスター・ゲイツ、ロサンゼルスのマーク・ブラッドフォードの3人の活動を“Three Artists Who Think Outside the Box”と題して大きく紹介した。社会におけるアートの可能性が一般にも理解され始めているようだ。

「あなたはアートてはなくソーシャル・ワークをしているのではないか、と問われることがあると思います。それに対してどうレスポンスするのですか」と聞くと、「Come and Visit! と答えるわ」とライアンさん。「私たちは、アートはフォーマルな場所で起こると考えるよう条件付けられていて、そこを離れると価値がなくなると思っています。でも、全てのコンテクストは作品をめぐって変わります。私たちがここで行っているのは、ソーシャル・プラクティスと呼ばれようと、ソーシャリー・エンゲイジド・アートと呼ばれようと、コミュニティ・ベイスト・アートと呼ばれようと、地域で何が起こっているかを省察することです。私はここを訪問するよう薦めると同時に、アートの見方や定義や可能性を拡張してほしいと思います。アートは美術館にも、オルタナティブ・スペースにも、屋外にも、私たちのまわりにも存在します」

8. Community Market crowd - Photo by Blair Truesdell

コミュニティ・マーケットに集う人々  Photo by Blair Truesdell

「PRHの将来的な目標は?」

「たくさんあります…最近5年計画をつくったのですが、主な目標をあげれば、社会的セーフティーネットの充実、パートナーの拡大、パブリック・アート・プログラムの継続、資金源の多様化、第3区と関連したPRHのレガシーの構築などですね」(ユーリカ)

「本をつくる予定はないのですか?」 「それはもちろんやりたいです。20周年のときに本の構成や目次まで考えたんですけど、例によって、資金調達がペンディングです」(ライアン)

「マテリアルはたくさんありそうですね」 「ええ、山ほどあります。先日、ある資料があやうくシュレッダーにかけられようとしていたのを、阻止しました(笑)。スライドのアーカイブもありますが、きちんと分類されていません。リック・ロウ・ファイルという彼の20年間の予定表も残っています。私たちはアーキビストが必要です。アーキビスト・レジデンシーを考えたいわね」(ライアン)

「ところで、リックさんは個人的にどういう人物ですか?」 「夢想家に見えるかもしれませんが、彼は、当時最悪だったこの地区に、美と変化の可能性を見たんですね。タフなリーダーで、コミュニティへのコミットメントは比類ないです」(ユーリカ)

「そう、比類ない人です。彼は人々を結集し、物事を実現する方法を知っています。彼は人が何を求めているかを洞察する力があって、それを協働ネットワークで一つにまとめることができる。それはパワフルです」(ライアン)

リック・ロウ courtesy John D. & Catherine T. MacArthur Foundation

リック・ロウ
courtesy John D. & Catherine T. MacArthur Foundation

PRHが立地するヒューストンの北部第3区は、ダウンタウンからクルマで10分ほどの距離。大都市の住宅地開発は西高東低のケースが多いが、ヒューストンも高級住宅地は西部に広がり、ダウンタウン東部にあたるこの地区は、確かにpoor neighborhoodという印象で、不動産業者による「家買います」という看板が立っていたりする。昔からの住民を追い立てるようなジェントリフィケーションに歯止めをかけ、地域に社会的セーフティーネットを提供し、アーティストに機会を与え、アートの定義を拡張する……今や全米で注目される存在となったPRHだが、それだけに、このプロジェクトの未来に多くの目が注がれている。ユーリカさんが言うように、地域的、全国的にやるべきことは多いだろう。アートと社会的ニーズを結びつけたコミュニティ再生モデルとして、PRHの今後の展開とともに、20余年の歩みをまとめた本の発刊を期待したい。

(秋葉美知子)