米国におけるアーティストと地方自治体のパートナーシップ
日本では、芸術祭やアーティスト・イン・レジデンスなど地方自治体がアートを活用するプロジェクトは数多いが、文化芸術に対する公的支援が少ない米国でも、創造的プロセスを用いてコミュニティの空間や制度を再考・改善するために、近年地方自治体とアーティストのコラボレーションが増えているという。この潮流をサポートし、ポジティブで強力な成果につなげようと、ア・ブレイド・オブ・グラスとアメリカンズ・フォー・ジ・アーツ(注)の「アニメーティング・デモクラシー」プログラムの共同企画で、ウェブガイド『Municipal-Artist Partnership』がアップされた。
書物の形でまとまっているのではなく、Municipal/Artist(M/A)パートナーシップとは何か、どのように始めるか、それには何が重要か、といったコンセプトやプランニングに関する事柄から、具体的な事例紹介、さらには予算組み、資金調達、契約書のひな形などの実務的な情報、評価、関連記事や書籍まで、まさにこのテーマで編集した資料庫である。深掘りしていくと、興味深いコンテンツが見つかりそうだ。
注:全米の非営利芸術団体のネットワークとアドホカシー組織
2020.2.23(秋葉美知子)
スザンヌ・レイシー「We Are Here」に見る回顧展のつくり方
米国ロサンゼルスを拠点とするアーティスト、スザンヌ・レイシーの回顧展「We Are Here」が、2019年4月20日から8月4日まで、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)とその向かいに立地するイエルバ・ブエナ芸術センター(YBCA)で開催された。レイシーといえば、1970年代からフェミニスト・アートを牽引し、90年代には「ニュージャンル・パブリック・アート」という用語をつくり出し、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)のパイオニアとして、また教育者、著述家として、実践と理論の両面で40年以上にわたるキャリアを築いているアーティストだ(注1)。「We Are Here」は彼女にとって初めての大規模な回顧展だった。そのニュースを知ったとき、ようやくレイシーにも集大成の機会がやってきたのか、と思った。
この展覧会のキュレーターの一人、ドミニック・ウィルスドン(注2)が、SEAをテーマとしたマガジン「ア・ブレイド・オブ・グラス」(ABOGマガジン)の創刊号にエッセイを寄稿している。美術館におけるアーティストの回顧展は、絵画や彫刻といったオブジェクトが作品の場合は制作時代順に作品を並べ、歴史化し、その不変の価値を解説するのが標準的だが、レイシーのアートではそう簡単にはいかない。ウィルスドンはこう書いている。
「ひとつには、素材の問題がある。どんなアクション、オブジェクト、エージェントの組み合わせが1つの作品を構成するのか? また、オーサーシップの問題がある。他のアーティストを含む、非常に多くの参加者や協働者によって創作されたプロジェクトの展覧会にSuzanne Lacyという単一の名前を付けることは何を意味し、それらの参加者はどのようにこの展覧会に関与し、認知されるべきか? 歴史の問題もある。特定の時代や場所の政治状況によって駆り立てられたこれらのプロジェクトをどのように振り返り、それが意味していたことを今でも意味のある方法で体験する方法を見つけることができるのか? 美学の問題もある。こういった実践を、美術館を支配している美術史(絵画、彫刻、写真)と折り合いをつけることにどんな意味があるのか?」(注3)
そう、確かに、大半が参加型パフォーマンスとして美術館の外で行われるレイシーのアートを、SFMOMAのようなメジャーな現代美術館でどのようにプレゼンテーションするのだろうか? その答えを知りたくなり、会期中盤の7月にサンフランシスコを訪れた。
レイシーの回顧展のチャレンジとその実現まで
この回顧展の大きな特徴は、成り立ちもミッションも異なる2つの館の共同企画だということ。サンフランシスコのアートパトロンからの寄贈作品をもとに、博物館学者グレース・モーリーのリーダーシップで1935年に創設されたSFMOMAは、今や巨匠たちの作品を多数収蔵する全米有数の近現代美術館である。一方YBCAは、都心のスラム街を大規模な商業地区に再開発しようとする計画が、(追い立てられることを危惧する)住民組織の粘り強い反対運動を受けて、文化施設を含む都市公園に変更された結果、1993年にオープンした芸術センター。美術作品のコレクションは持たず、現代社会を反映する実験的なアートの企画展やパフォーマンス、映画などをプログラミングするとともに、コミュニティ参加型の活動にも力を入れている。このような背景を知れば、レイシーの回顧展をYBCAが開催するのは納得できるが、SFMOMAにとってはチャレンジだったに違いない。SFMOMAの長い歴史の中で、女性、しかもフェミニストのアーティストに、1フロア全体を割り当てるのは初めてのことだったという。
展覧会のきっかけは、サンディエゴ現代美術館でレイシーと仕事をしたことがあったYBCAのビジュアル・アート・ディレクター、ルシア・サンローマン(注4)が、SFMOMAのドミニック・ウィルスドンに、レイシーによる公開プロジェクトを一緒にしないかと持ちかけたところ、それなら彼女の回顧展を共同でやろうということになった。レイシーの代表的SEAとして知られる《オークランド・プロジェクト》がサンフランシスコに隣接するオークランドで1991年から10年間にわたって行われたことを再考する意味でも、彼女の回顧展は自分たちが企画すべきだと。
しかし、レイシーのように、伝統的な美術館での展覧会を主目的に作品制作をしているのではなく、社会的な「プロセス」に重心を置くアーティストの活動をホワイトキューブの中でプレゼンテーションするには、計画書、記録写真、記録動画、関連資料などの展示・上映が中心にならざるを得ない。それは、アート作品としての展示にふさわしいクオリティに欠け(特にデジタル技術が進む以前のものは)、どうしてもドキュメント的になってしまう。レイシーは、2017年2月に東京の森美術館で行われた国際シンポジウム「現代美術館は、新しい『学び』の場となり得るか?」の基調講演で、「ソーシャル・プラクティス・アーティストと美術館」をテーマに、自身の経験を事例に重要な問題提起をしていた。
「美術館が他の場所で発生したプロジェクトを見せるとき、さまざまな問題が出てきます。ひとつは、そのアートワークが最初の場所でもたらした感情的、政治的インパクトを美術館でどのように再現できるか、あるいはそもそも再現は可能なのか。もうひとつは、その実践における社会的、交渉的側面がどのように示されるかです」(注5)
SFMOMAでフィーチャーされた2つのプロジェクト
キュレーターたちはその問題に最も悩んだことだろう。両館の展示構成はかなり異なっていた。というか、はっきりと役割分担がされていた。SFMOMAは、レイシーの活動初期からの、フェミニズムに基づいた、女性の経験とエンパワメントに関連するプロジェクトのドキュメント写真やビデオなどをカテゴライズして展示するとともに、最近の2作品が大きくフィーチャーされていた。エクアドルのキトでの《自らの手で De Tu Puño y Letra》と、英国ランカシャー地方での《サークルとスクエア The Circle and the square》である。なぜ、最近の「作品」と書いたかというと、これらはプロジェクトの記録ではなく、美術館でのインスタレーションを意図して制作されたものだからだ。
《自らの手で》(2015)は、エクアドルの女性たちが自らの暴力被害体験を綴った手紙を、さまざまな年代・職業の男性300人が、闘牛場のリンクで読み上げる壮大な演劇的パフォーマンスだった。レイシーは、このパフォーマンスのドキュメンタリー映像は、本来的に記録のためのものだから、美術館の環境の中で強いインパクトをもたらすことはないと考え、「このプロジェクトを美術館でのインスタレーションに置き換えるために」エクアドルに戻って、女性たちが書いた手紙から構成した台本を男性が読む映像を撮影し直し、美術館のフロアに置いた大きな5面のモニターに映し出すインスタレーションに再構成した(注6)。
レイシーはさらに進んで、《サークルとスクエア》(2017)では、これを「美術館での展示を最初から意図したコミュニティ・プロジェクトとして立ち上げた」(注7)。SFMOMAの会場に入ると、真っ先にこのプロジェクトを象徴する「スーフィー・チャンティンング」の詠唱パフォーマンスが大画面に、かなりの音量を伴って映し出されている。その隣のスペースには、かつての紡績工場労働者へのインタビュー映像が、10台ほどの等身大のスタンドモニターで放映されており、鑑賞者はヘッドホンで声を聴く。
このインタビュー映像を含め、展覧会場にヘッドホンはいったい何台設置されていただろうか。画像や文字だけでは伝えきれない「プロジェクトの感情的な側面、肉体化された側面についてコミュニケートする」(注8)ためには音声は重要だ。インタビュー、モノローグ、カンバセーション、メディア放映の音声…しかし、鑑賞者に十分な時間と忍耐がないと、全てのヘッドホンを耳に当てることは難しい。
YBCAでの実験的試み
FSMOMAの構成は、見る展示というより聴く展示だったにしても、従来型の回顧展の方法論を大きくはずれるものではなかったが、YBCAは、スペースの制約もあってか、《オークランド・プロジェクト》をコアに、「若者」というテーマに絞った構成だった。
1990年代のオークランドでは、ティーンエイジャーは、その暴行や警察官との衝突によってメディアからネガティブに描写され、危険な存在としてステレオタイプ化されていた。その状況を覆そうと、レイシーは、教師、アーティスト、メディア制作者らの協力のもと、大勢の若者たちとともに、ワークショップ、講座、政策提言などに取り組み、公開の場でのパフォーマンスやインスタレーションに結実させた。その総称が《オークランド・プロジェクト》である。なかでも、高校生220人がビルの屋上駐車場にとめた100台のクルマのシートに座り、暴力、セックス、ジェンダー、人種、家族について真剣に語り合うのを、1,000人近い観衆が静かに聞いて回る「ルーフ・イズ・オン・ファイア」は象徴的なメディア・スペクタクルとして広く報道された。YBCAの会場では、活動のドキュメント映像を再編集した作品や、当時の参加者に対する新しいインタビューが、床に置いたり、天井から吊ったスクリーンに映し出され、臨場感を醸し出す演出がなされていた。
「We Are Here」が従来型の回顧展と異なっていたのは、YBCAで《オークランド・プロジェクト》を取り上げるにあたって、レイシーによる過去の実践を見せるだけでなく、ベイエリアの若手のクリエイターや活動家団体にオリジナルの表現機会を与えるという挑戦的な試みが加えられたことである。YBCAのコミュニティ・オーガナイジング・マネージャーとしてレイシーのプロジェクトに参加したクリスタ・セザリオさん(注9)はこう語る。
「回顧展のキュレーションは少し実験的でした。《オークランド・プロジェクト》の参加型の性質を考えると、プレゼンテーションでは“著作者(オーサーシップ)”の分散を可能にする方法を見出すことが重要だと考えました。 私たちは、今日の若者に影響を与えている緊急の問題を反映した新しい作品をつくるために、若いアーティストや活動家集団、現在若者と協働しているベイエリアのアーティストたちを招き入れることにしたのです。そして、誰がどのように物語を語り、それをどのように伝えるのかを、若者自身のコントロールに任せました。それそこ《オークランド・プロジェクト》が目指していたことですから。この試みは、若者たちが差し迫った問題を探求し、それに対処する創造的な方法を理解する場をつくると同時に、彼ら自身とコミュニティのエンパワメントのために、アートと創造性がツールなることを知る機会にもなったと思います」
レイシーは、過去の作品をプレゼンテーションするとき、再制作、再検討、改訂ではなく「再考する」という言葉を使うのを好むそうだが、YBCAでの《オークランド・プロジェクト》も再考の結果なのだろう。
「We Are Here」の意味するところ
YR メディア、ユース・スピークス、メディアジャスティスといったベイエリアのクリエイター、アクティビスト集団が、インスタレーションやグラフィックス、ビデオ作品を発表し、イベントに出演。マーティン・ルーサー・キングJr.中学校の6年生が、詩人の指導で自分の力やプライドを表現するアクロスティック・ポエム(各行の先頭または末尾の文字をつなげると、ある語句になるという言葉遊び)を作る。地域の若者が美術館でプレゼンテーションの機会を得たこの経験は、彼らに大きな自信を与えたようだ。YRメディアの音楽プロデューサー、ジェシカ・ブラウンはこう振り返る。「YBCAとのコラボは、私にとってファースト・ビッグ・ブレイク(初めての大きなチャンス)だった。19歳が美術館にフィーチャーされるなんて」(注10)。
20年以上前にレイシーたちが《オークランド・プロジェクト》で取り組んでいた、若者たちの抱える問題は今でもなくなってはいない。レイシーのドキュメントを見る今の若者は、「私たちはそこにはいなかった」けれど「私たちは今ここにいて同じ問題を考えている」。それが展覧会タイトル「We Are Here」が意味するところなのだろう。
このプロジェクトで、コラボレートする若者の組織を選び、展覧会のビジュアル・アート・チームのとのつなぎ役を務めたセザリオさんは、もともと美術畑の出身ではない。人類学者としてメキシコのマヤ社会の研究をしていたが、レイシーとともにオークランドで新しいプロジェクトに取り組む人材をYBCAが探していると知り、応募したという。人類学でのコミュニティ・ワークの経験がソーシャル・プラクティスにも役立つだろうと。大学で教鞭を執っていた彼女にとって、アート・プロジェクトに参加するのは初めてのことだった。「トラディショナルな回顧展でなくてよかった」と彼女は語る。
もうひとつ、セザリオさんがトラディショナルではない回顧展だったと言う点は、スペース的な配慮である。SFMOMAの会場は、ネットワークの概念図を描いた壁の前にソファを配置し、ゆっくり座って時間を過ごせるようになっていた。現代美術の展覧会ではまず見られないセッティングだ。
「SFMOMAの展示では、女性に対する暴力や、疎外された女性(高齢女性、有色人種の女性)の経験に取り組むレイシーのアートが数多く紹介されました。その作品はとても力強く、多くの観客、特に自分自身や愛する人が暴力を受けたかもしれない人々は、深い感情的な反応を示していました。展覧会場には、鑑賞者が座って感情を抑えられる静かなスペースを含めるべきだと、多くの人が気づいたでしょう。SFMOMAのような大規模でコンサバティブな美術館では、これほど感情に訴えかける展示はめったに行われませんが、美術館にとって、アート作品そのものを超えて、鑑賞者がどのようなスペースやリソースを必要としているかを考えることは、ますます重要になっています」
いくつかの実験的取り組みがなされていた回顧展だが、部厚い展覧会カタログ『We Are Here』はトラディショナルな出版物と言っていいだろう。テーマ別の編集で作品/プロジェクトが解説され、(今で言うSEA)アーティストとしてのレイシーの主張と方法論をしっかりとたどることができる(もちろん、若いクリエイターたちの作品は収録されていない)。表紙のビジュアルは、最近のプロジェクト《サークルとスクエア》から。椅子に座って歌う人々、真ん中に立つリーダー、カメラクルー、モニターの映像…レイシーのメソッドを象徴する構図で素晴らしい。過去の業績ではなく今の私の方法論を知って欲しい、というレイシーのメッセージだろうか。個人的には、赤・黄・黒の幾何学パターンが目に焼き付く《クリスタル・キルト》の写真を使ってほしかったのだけれど。
(注1)スザンヌ・レイシーSuzanne LacyがSEAの誕生に果たした業績は、『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』(アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会編、フィルムアート社)に収録されたエッセイ「社会的協同というアート―アメリカにおけるフレームワーク」(トム・フィンケルパール)、「ソーシャル・プラクティスへの大きなうねり―1970年代の米国におけるフェミニスト・アート」(カリィ・コンテ)を参照されたい。
(注2)Dominic Willsdonは、サンフランシスコ近代美術館のエデュケーション&パブリック・プラクティス部門のキュレーター(原稿執筆時)。現在は、ヴァージニア・コモンウェルス大学のコンテンポラリー・アート・インスティテュートでエグゼクティブ・ディレクターを務めている。
(注3)『ABOGマガジン』創刊号 p.28
https://www.art-society.com/researchcenter/wp-content/uploads/2019/06/ABOG_Japanese-version-issue-1.pdf
(注4)Lucia Sanrománは現在、メキシコシティのLaboratorio Arte Alameda館長
(注5)『MAM Documents 003 現代美術館は新しい「学び』の場となり得るか?』(森美術館刊)p.41
(注6)前掲書p.51
(注7)前掲書p.52
(注8)前掲書p.52
(注9) Christa Cesarioは「We Are Here」終了後YBCAを退職し、現在フリーランスでアート関連の活動をしている。
(注10)YRメディアのウェブサイトより。
2019.12.12(文・写真 秋葉美知子)
英国で表現の自由についての実態調査実施中
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」をめぐって起こった一連のアクション、リアクションで、表原の自由と「検閲(センサーシップ)」が改めて問題になっている。「行政は芸術を支援しつつ、その活動から一定の距離を保ち、表現の自由と独立性を維持する」(お金は出すが、口出ししない)という「アームズ・レングス原則」発祥の国イギリスでも、センサーシップ(日本語の検閲より広い意味で使われる)が、自由な表現を妨げているようだ。”biting the hand that feeds(餌を与えてくれる手を噛むこと)”を恐れる態度は以前からあるが、近年、さまざまなプレッシャーから表現の自由への自己検閲が広範囲に見られるという。
その実態を把握しようと、芸術文化関係者に向けたイギリスの情報サイトArtsProfessionalでは、現在オンライン調査「Freedom of Expression Survey」を行っている。
主な質問を紹介すると:
●あなたは、芸術分野に影響を与える問題について、個人的な意見を、(直接の会話であれ、デジタルメディアであれ)公然と発言していますか?
「いつも」「たいてい」「時々」「めったにない」「全くない」から選択
●芸術分野に影響を与える問題について発言したために、直接またはデジタルメディアで、圧迫、叱責、脅迫、追放、強制、ネットトロール、嫌がらせ、いじめを感じたことはありますか?
「はい」「いいえ」
●以下の誰/どこからプレッシャーを感じたことがありますか? (いくつでも選択)
友達 同僚 クライアント 理事会 スポンサー 資金提供者 コミュニティグループ 運動団体 プレス/メディア ソーシャルメディア オーディエンス/一般大衆 規制当局 政府/地方自治体 その他(具体的に)
● 組織が公にしたくない状況に関して沈黙することの見返りとして、あなたに金銭を支払う「和解契約」を提供されたことがありますか?
「はい」「いいえ」
●次の文にどの程度同意しますか?
「強く反対」「反対」「どちらでもない」「同意する」「強く同意する」から選択
1. 個人的な見解や意見は、芸術文化の分野で働く他の人々からリスペクトされている。
2. 公的資金への依存は、重要な問題に関する開かれた議論を妨げる。
3. 芸術文化部門で働く人は、論争を招くような意見を持つと仕事から追放されるリスクがある。
4. ソーシャルメディアで敵意ある反発を受ける可能性があるため、私は自分の意見をオンラインでシェアすることをためらう。
5. 将来の資金調達を危うくする恐れがあるため、私は資金提供者の行動を公然と批判しない。
6. 芸術に携わる人々は、中道右派の政治的意見を認めるつもりはない。
●あなたは芸術的あるいは創造的な活動を計画する際に、論争のリスクを考慮していますか?
「はい」「いいえ」
●あなたの芸術的、あるいは創造的な活動に反応して、直接またはデジタルメディアで、圧迫、脅迫、追放、強制、ネットトロール、嫌がらせ、いじめを感じたことがありますか?
「はい」「いいえ」
●以下の誰/どこからプレシャーを感じたことがありますか?(いくつでも選択)
友達 同僚 クライアント 理事会 スポンサー 資金提供者 コミュニティグループ 運動団体 プレス/メディア ソーシャルメディア オーディエンス/一般大衆 規制当局 政府/地方自治体 その他(具体的に)
●こういった圧力のために、芸術作品、プログラミング、または計画を変更したことがありますか?
「はい」「いいえ」
●次の文にどの程度同意しますか?
「強く反対」「反対」「どちらでもない」「同意する」「強く同意する」から選択
1. 私の組織の理事会は、論争を招く可能性がありそうな創造的な活動について不必要に慎重だ。
2. アーティストのほうが芸術団体よりも自己検閲する傾向が強い。
3. 論争を覚悟しない組織は、わくわくするような創造的作品を提供しない。
4. 芸術文化部門は、重要な物事について発言するために、(どんな結果を招くにせよ)そのユニークな才能を利用する責任がある。
非常に単刀直入の設問。日本でも同様の調査を行って、結果を比較できないだろうか。
2019.11.11(秋葉美知子)
21世紀におけるミュージアムの役割とは? ICOM京都大会で新定義の採決が延期に
9月1日から7日まで、国際博物館会議(International Council of Museums 略称ICOM)の第25回大会が京都で開催され、「Museums as Cultural Hubs: The Future of Tradition(文化をつなぐミュージアム ―伝統を未来へ―)」をテーマに、120の国から4,600人が参加してさまざまな討議が行われた。なかでも今回最も注目されたのが、ミュージアムの新しい定義が提案されたことだった(ミュージアムの日本語訳は博物館だが、総合博物館、自然史・自然科学博物館、科学技術博物館、歴史博物館、美術館、文学館、動植物園など多様なタイプがあり、人によって特定のイメージで理解されている場合も多いと思うので、ここではミュージアムと記述する)。
本サイトの「参考文献」に紹介した『Museum Activism』で展開されているように、今「“ミュージアムの中立性”はもはや神話であり、不平等、不正義、地球環境の危機が深刻化するこの時代に、ミュージアムは(明確な目的に基づいて設立された“アイデンティティ・ミュージアム”だけでなく、すべてのミュージアムは)、現実世界のさまざまな課題に深く関わり「文化変革のための能動的エージェント」へ変身すべきだという考え方が、ミュージアム・コミュニティの間で広がりつつある。
ICOM京都大会での新しい定義の提案も、この動きに呼応するように、ミュージアムの社会的役割、人々とのエンゲイジメントを強調するものとなっていた。
現行のICOMによるミュージアムの定義は2007年に第22回大会で採択されたもので、以下のように非常にシンプルだ。
ミュージアムは、社会とその発展のために奉仕する、非営利で常設の、一般に公開される機関であり、教育、研究、楽しみを目的として、人類とその環境の有形および無形の遺産を取得、保存、調査、伝達、展示する。
今回、ICOM内の「ミュージアムの定義・展望・可能性委員会」が3年間にわたって検討した結果、文章化された新しい定義は、従来のものを大幅に改訂するものだった。
ミュージアムは、過去と未来について重要な意味を持つ対話のための、民主的、包摂的かつ多声的な空間である。ミュージアムは現在の対立や課題を認識し、それらに取り組みつつ、社会の委託のもと、人工品や[動植物・鉱物などの]標本を保管し、将来の世代のために多様な記憶を守るとともに、すべての人々に遺産に対する平等な権利と平等なアクセスを保証する。
ミュージアムは営利を目的としない。ミュージアムは参加型で透明性があり、多様なコミュニティと積極的に連携して、世界の知識を収集、保存、研究、解釈、展示、強化し、人間の尊厳と社会正義、世界の平等、健全な地球に貢献することを目指している。
この定義案は9月7日の臨時総会での採択を目指したが、「観念的すぎる」「空虚なバズワードの羅列だ」「教育機能が軽視されていて、公的支援を受けにくくなる」などの反対論が出ていた。総会では、議論が尽くされていないという慎重論が優勢となり、採決延期を求める動議が投票にかけられ7割の賛成で可決。定義の改訂は見送られた。
しかし、これを受けたICOMのスアイ・アクソイ会長は、この投票は議論の終結を意味するのではなく、“新たな章”の始まりだと強調し、今後も再定義のプロセスを進めていくと語っている。
この論争の中、ミュージアム・コミュニティでも動きが起こっている。イギリスの博物館協会(Museum Association)は、10月3~5日にブライトンで開催する年次大会で「ミュージアムとは何か?」を問うセッションを行う。パネリストには、ICOM定義委員会の議長を務めるジェッテ・サンダール、芸術と遺産教育に取り組む非営利組織Culture&のアーティスティック・ディレクター、エロール・フランシス、『Museum Activism』の編者でレスター大学教授のリチャード・サンデルらが予定されている。イギリスは、米国、オランダとともに定義の改訂に前向きな国の一つ(フランス、イタリア、ドイツ、カナダ、ロシアは異議を唱えている)。ここでの議論にも注目したい。
2019.9.25(秋葉美知子)
ア・ブレイド・オブ・グラス2020年度フェローシップの募集概要
ソーシャリー・エンゲイジド・アートに取り組む米国のアーティストに対象を絞り、プロジェクト資金の助成と活動支援を行っているアートNPO、ア・ブレイド・オブ・グラス(ABOG)が、2020年のフェローシップ募集を開始した(2019年10月16日締め切り)。このプログラム(A Blade of Grass Fellowship Program)は、アーティストが主導するSEAプロジェクトに、かなり自由に使える2万ドルの資金をはじめ、ネットワーキングの機会や広報宣伝の支援などを提供するもの。2014年に始まり、今ではSEAに関心のあるアーティストなら誰もが取りたい助成金になっているようだ。
応募資格は、米国民または合法的な就労資格を持つ米国在住者に限られているが、このプログラムのガイドラインは米国におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの意味合いを知る上で大変参考になる。で、以下、ABOGのウェブサイトに掲載された応募要領より、主要な部分を紹介したい。
■フェローシップの概要
私たちは、ソーシャリー・エンゲイジド・アーティストが、より公正で、公平で、持続可能で、楽しく、思いやりのある未来を創造するために、有意義な関与をする力を信じています。 このことは、アーティストが芸術とは関係のない多様なパートナーやコミュニティとともに活動し、相互信頼に基づいた関係を発展させるために、時間をかけ注意を払わなければならないことを意味します。私たちは、このタイプの活動には既成のロードマップや保証された成果はないことを理解しており、アーティストがこれらのプロセスや関係性をどのように舵取りするかを知ることに力を注いでいます。
私たちのフェローシップ・プログラムは、勇気あるアーティストが、一見解決困難な社会問題に光を当て、オーディエンスに刺激を与え、人々が長期的なソーシャル・チェンジの活動に参加し、それを持続するよう活気づける交換(exchanges)、体験(experiences)、構造(structures)を生み出すことを支援するものです。これは困難で時間のかかる、組織的、知的、そして感情的な仕事です。
私たちは共同調査の要素を組み込んだ比較的制限のない資金を提供することを約束します。 さらに、アーティストが書く実施報告に代わるものとして、フィールドリサーチを行います。これはアーティストによって明確化された目的と調査の範囲、そしてプロジェクト参加者の視点に基づいて行うものです。
直接的なアーティスト支援に加えて、ABOGのもう一つの主要な目的は、ソーシャリー・エンゲイジド・アートの「見えない」部分を可視化することです。 私たちはこれを、ドキュメンタリー映画、出版物、ウェブコンテンツ、そしてパブリック・プログラムを通して行います。 ただし、これらの内容についてのコラボレーションはフェローシップの義務ではなく、相互利益に基づく個別の契約で行います。
■選定基準
このフェローシップは、世界でソーシャル・チェンジを起こすために素晴らしい芸術を使っているアーティストを支援することを意図しています。提案書を審査する際には、芸術的価値、ソーシャル・チェンジを実現するためのプラン、そしてアーティストがエンゲイジメントを実践する質を検討します。
あなたのプロジェクトがフェローシップに適合しているかどうか。以下について自問してください。
- 私のプロジェクトがソーシャル・チェンジを起こすことができると説明できるか?
- そのプロジェクトは何らかのかたちで、不公平な権力構造に挑戦し、それを変革、あるいは反転させるだろうか?
- ますます分極する政治的状況において、そのプロジェクトはより大きな謙虚さ、集団性、コミュニケーションand/orケアの可能性を高めるだろうか?
- そのプロジェクトは、参加者やオーディエンスが想像力に富んだ、あるいは元気を回復させる見方や行動をするのを助けるだろうか?
- そのプロジェクトは、参加者が、固定された社会構造に積極的に影響を及ぼし、未来への大きな希望を生み出すことができると感じるような行動形態を提案しているか?
2019.7.23(秋葉美知子)
アメリカの公的芸術文化助成
前回の投稿で、米国の財団による芸術文化助成について紹介したが、今回は参考までに公的助成を見てみよう。
米国の公的芸術文化助成は、連邦政府機関の全米芸術基金(National Endowment for the Arts =NEA)によるものと、地方政府予算によるものに分けられる。これは日本でも文化庁と都道府県・市区町村がそれぞれ芸術文化予算を持っているのと同様だ。米国の仕組みは、NEAは全米規模の独自プログラムを実施すると同時に、総助成予算の約40%を交付金のようなかたちで各州の受け皿(ステート・アーツ・エージェンシー=SAAと総称される組織。それぞれ、○○アーツカウンシル、○○アーツコミッションなど個別の名称を持つ)に配分している。SAAは、このNEAからの分配金に州政府からの予算を加えて、アーティストやアートNPO支援、アート教育、コミュニティ活性化、パブリック・アートなどさまざまな事業を行っている。さらに各州の地方自治体(市や郡)にも総数4,500にのぼる芸術文化組織があり(ローカル・アーツ・エージェンシー=LAAと呼ばれる)(注)、地方政府からの予算措置や民間からの支援を得ながら活動している。
しかし、米国では芸術文化は基本的に私的領域と見なされ、公的支援には消極的で、それは政府予算の規模から明らかだ。2017年度(米国の会計年度は前年10月から当年9月まで)のNEAの予算は約165億円、SAAに対する州の予算措置は約375億円、LAAに対する地方政府の予算措置は約910億円、合計約1,450億円である。この数字は、メジャーな1,000財団による1万ドル以上の助成金だけを集計した総額が約3,300億円(2016年)だったことと比較すると、半分以下にすぎない。それでもトランプ政権は、発足以来予算教書提出のたびに、NEAと姉妹機関NEH(全米人文科学基金)の廃止を盛り込んでいる。
対して、日本の公的芸術文化助成はどのくらいかというと、NEAにほぼ相当する文化庁の予算は2016年度で1,040億円(NEAの約6倍)、都道府県・市区町村の芸術文化関係経費は4,489億円で、合計5,529億円。この数字はピーク時(1993年)の約半分だが、これでも米国の同様の公的支出の約3.8倍になる。
(注)米国のローカル・アーツ・エージェンシーは、3割が自治体の直営、7割がNPO。自治体直営組織では予算のうち公費の割合が59%なのに対し、NPOでは17%にとどまる。
日本の状況について詳しくは、
「文化芸術関連データ集」(文化庁)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/seisaku/15/03/pdf/r1396381_11.pdf
「地方における文化行政の状況について(平成28年度)」(文化庁)
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/chiho_bunkagyosei/pdf/r1393030_01.pdf
2019.4.27(秋葉美知子)
寄付大国アメリカの芸術文化助成
アートNPOにとって、プロジェクトを計画するときに、受給できそうな助成金探しは欠かせない。日本には、芸術文化支援に積極的な資金提供者(グラントメーカー)がまだまだ少ないが、寄付大国アメリカではどうなのだろう?
米国・カナダの芸術文化助成団体を構成員とするネットワーク組織「Grantmakers in the Arts」が発行するマガジン「gia reader」に、米国の財団による芸術文化助成のトレンドに関する記事があった。それによると、メジャーな1,000財団による1万ドル以上の助成金(2016年)のうち、芸術文化に向けられたのは9%で、教育(26%)、健康(26%)、地域・経済開発(12%)、福祉(11%)に次いで5番目。その規模は、20,525件、総額約30億ドルだったという。件数では、1万~2万5,000ドルの助成が全体の約4割を占めるが、単純に平均すると、1件あたり約146,000ドル(約1,600万円)になる。ちなみに、2016年に最も多額の芸術文化助成をした財団は、カーネギー・M・メロン財団で、267件、約2億860万ドル(約230億円)だった。
Grantmakers in the ArtsのウェブサイトのNewsページには、芸術文化支援に関連する幅広い情報が掲載されており、SEA関連の記事も多く、アメリカの今の状況を知ることができる。
2019.4.15(秋葉美知子)
「FIELD」の最新号は世界各地のアートとアクティビズムの現状をレポート
SEAの論客として知られるグラント・ケスター(美術史家、UCサンディエゴ教授)が2015年春に「A Journal of Socially-Engaged Art Criticism」というサブタイトルで創刊したウェブ・ジャーナル「FIELD」は、毎号読み応えのあるエッセイが掲載されていて、SEA分野の理論と実践の世界的動向を知るうえで大変参考になる。2017年の第7号と第8号では、「Japan’s Social Turn(日本の社会的転回)」をテーマに、歴史的考察や震災後のアーティストの活動、地域再生に関わるアートプロジェクト、ろくでなし子のメディア・アクティビズム、A3BC: 反戦・反核・版画コレクティブなど、さまざまな視点から日本の社会的転回を取り上げていた。
その最新号が、第12・13合併号として3月初めに発刊された。「Art, Anti-Globalism, and the Neo-Authoritarian Turn(アート、反グローバリズム、新権威主義的転回)」をテーマに掲げ、アーティスト/アクティビスト/批評家、そしてNYのクイーンズ・カレッジで「ソーシャル・プラクティス・クイーンズ」という大学院プログラムを指導する教育者でもあるグレゴリー・ショレットが、世界の仲間(アーティスト、アクティビスト、歴史家、批評家、キュレーター)に呼びかけて集めた32編のエッセイが収録されている。トランプとブレクジットに象徴される反動的ナショナリズムが世界各地で進行している中、その権威主義的ルール、抑圧のシステムに対して、ソーシャリー・エンゲイジド・アートがどのように対抗しているかを現場からレポートし、アクティビストとアーティストの連携や交換の可能性を開こうという企画である。
コンテンツは地域別にグルーピングされており、ケスターによる編集長コメントと、ショレットによるイントロダクションを読んだ後、興味のある記事を検索するとよいかもしれない。ヨーロッパと北アメリカからの寄稿が多いが、東アジアからも、朴槿恵大統領を退陣に追い込んだソウル光化門広場でのロウソク集会について韓国人キュレーター、ヘン・ギル・ハンが書いたエッセイや、中国のアーティスト、ジェン・ボーによる「The Current State of Socially Engaged Art in Mainland China」と題するエッセイなどが収録されている。
2019.3.6(秋葉美知子)
スザンヌ・レイシー初の大規模回顧展が4月からサンフランシスコで開催
米国LAを拠点とするアーティスト、スザンヌ・レイシーは、1970年代からフェミニスト・アートを牽引し、90年代には「ニュージャンル・パブリック・アート」という用語をつくり出し、ソーシャリー・エンゲイジド・アートのパイオニアとして、また教育者、著述家として、実践と理論の両面で長いキャリアを築いている。その大規模な回顧展が、4月20日から8月4日まで、サンフランシスコ近代美術館とその隣に立地するイエルバ・ブエナ芸術センターで開催される。
パブリック・アートやSEA(あるいはソーシャル・プラクティス)の分野ではすでに大御所的存在のレイシーだが、メジャーな美術館でのソロ展覧会は初めて。それだけに、期待も高まる。というのも、レイシーのような、美術館での展覧会を主目的に作品制作をしているのではなく、社会的な「プロセス」に重心を置くアーティストが、自身の過去のプロジェクトを美術館のハコの中でどのようにプレゼンテーションするのか? 彼女のことだから、単に過去のアートワークの記録写真やビデオの展示・上映、インスタレーションの再構成などで終わるとは思えない。
レイシーは、2017年2月に森美術館で行われた国際シンポジウム「現代美術館は、新しい『学び』の場となり得るか?」の基調講演で、「ソーシャル・プラクティス・アーティストと美術館」をテーマに、自身の経験を事例に非常に重要な問題提起をしていた。
「美術館が他の場所で発生したプロジェクトを見せるとき、さまざまな問題が出てきます。ひとつは、そのアートワークが最初の場所でもたらした感情的、政治的インパクトを美術館でどのように再現できるか、あるいはそもそも再現は可能なのか。もうひとつは、その実践における社会的、交渉的側面がどのように示されるかです」(注1)
美術館の展示の作法は現場での実践とは違う、オーディエンスも違う。
「コミュニティに深く入り込んだ活動は、美術館の美学的環境に適しているのか? 美学に重点を置く場合は、コミュニティの参加者を作品の素材として利用しているのではないか? そのアートワークが活動のレガシーを失わずに美術館に収蔵され、展示されるにはどんな方法があるのか。そのアートワークをさまざまな場所で紹介するために必要なコミュニケーションの形式には、どんなものがあるでしょうか」(注2)
その答えは、「We Are Here」というタイトルにあるのかもしれない。
注1 森美術館, MAM Documents 003『現代美術館は、新しい「学び」の場となりえるか? エデュケーションからラーニングへ』, 2018, p.41
注2 同書、p.53
2019.1.22(秋葉美知子)
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